【袴田事件と世界一の姉】巌さんの縦縞パジャマに付いていた「血」を巡る異様な新聞報道
1966(昭和41)年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社「こがね味噌」の専務一家4人が殺害される「袴田事件」が起こった。強盗殺人罪で死刑が確定し、囚われの身だった袴田巖さん(85)が静岡地裁の再審開始決定とともに自由の身になったのは、2014年3月のことだった。実に47年が経ち、30歳で逮捕された男は、この時78歳になっていた。再審開始を目指す巖さんと姉・ひで子さんを追った連載の第9回。(粟野仁雄/ジャーナリスト)
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【写真と表】犯行時の着衣とされたパジャマや焼け落ちた橋本専務宅の様子など
1月30日午後、曇天で富士山はよく見えなかった。この日、静岡市のJR清水駅近くで、恒例の「無実の袴田さんに無罪判決を求める集い」が開かれた。主催は「袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会」(楳田民夫代表)で、毎年1月と6月に開かれている。
集会には主役の巖さんも姿を見せた。マイクを持った巖さんは「袴田巖でございます。法律で裁判所も支援しておる。世界の最高裁が勝った。こっちが最高裁だ。あらゆる批判を受けてきた。それでも頑張った。善だけで生きる世界。私がどこまで耐えられるかですね」などと語った。
これまでは拘禁症の影響が強く、「事件なんかないんだ」、「終わったんだ」とよく言っていたが、まだ脈絡はないものの、最近は裁判に関する発言が多くなってきた。勝手な想像だが、再審請求審の動きなどが気になっているのかもしれない。
弟の持つマイクを戻したひで子さんが「3月14日の三者協議会が最後と聞いています。50年闘っていますが、駄目でもまたやればいい。深刻には受け止めていません。でも裁判は勝たなければ。100歳までも生きて頑張ります。私も巖も元気です。よろしくお願いします」と挨拶し、拍手喝采を受けた。ちなみにひで子さんは、2月8日に89歳になる。
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