小池栄子で大河に登場した「北条政子」は5回目 40年前の「草燃える」にもあったコメディ的要素

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『草燃える』でもほぼコント

 実際、「草燃える」には、明らかに「笑わせ」にかかっている場面が、特に物語の前半にはよく見られた。

 一例を挙げよう。父である北条時政が不在のおりに、頼朝とデキてしまった政子は、父の前に呼びつけられて頼朝と別れるよう命じられる。隣には、兄の宗時もかしこまっている。宗時は、そもそも頼朝をかついで平家の世の中に風穴を開けたいという野心をもち、そのために政子と頼朝が結ばれるようけしかけた張本人だ。

 ところがその宗時が時政に向かって政子の不始末を詫びたうえに、その愚かさを愚痴りだす。

「バカな妹で、私もほとほとあきれまして……」

 政子は兄の「裏切り」に驚き、「兄上!」と気色ばむ。顔には(兄上がセッティングしたんじゃないの!)と書いてあるかのようだ。だが、宗時は政子に目配せをして適当にあしらいながら、怒りに震える時政のご機嫌をとりつつ言葉巧みに二人の仲を認めるよう説得する。ほぼコントである。

 物語の前半でこうしたコメディを交えたのは、もちろん、物語の後半が血で血を洗う凄惨な場面や、権謀術数が渦巻く暗い話の連続だからだ。そのあたりは歴史的な事実なので、変更のしようがない。事情は、「鎌倉殿の13人」も同じだろう。

「コメディなんて!」と不満を漏らす方々は、ぜひ40年前にコメディ的要素を大河ドラマに持ち込んだ記念碑的作品「草燃える」を見直すことをお勧めする。

安田清人
1968年、福島生まれ。明治大学文学部史学地理学科で日本中世史を専攻。月刊「歴史読本」(新人物往来社)などの編集に携わり、現在は「三猿舎」代表。歴史関連編集、執筆、監修などを手掛けている。

デイリー新潮編集部

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