小池栄子で大河に登場した「北条政子」は5回目 40年前の「草燃える」にもあったコメディ的要素
20歳前後から60代まで
「鎌倉殿の13人」の主人公は北条義時。政子の弟で、幕府を開いた頼朝の遺志を継いで、武家政権と執権北条氏の力を盤石なものとしてゆく「よくできた2代目」キャラのようだ。「頼朝・政子・義時」の3人はそれぞれのキャラクターが絡まり影響し合うことで、主役のトライアングルが成立するような位置づけだが、実は「草燃える」も同じだ。
頼朝と政子が出会うところから物語が始まり、政子と弟・義時の支えで頼朝は覇業をなす。やがて頼朝が亡くなると、妻の政子が義時と連携して一家の屋台骨を支え、政治家へと成長を遂げた義時が頼朝の事実上の後継者となるという構図だ。この構図は歴史上の事実なので、「鎌倉殿――」でも踏襲されることは間違いないだろう。
「草燃える」の放送当時、政子役の岩下志麻は38歳。物語の始まりでは政子は20歳前後なので、失礼ながら少々とうが立っているのは否めない。もちろん、物語は政子の晩年、すなわち60代までを描くので、これは当然のこと。岩下も伊豆の田舎武士の娘をはつらつと、若々しく演じていたが、小学生の目から見ると、やはりいささかの違和感があったことは事実だ。
それに比べて「鎌倉殿――」で政子を演じる小池栄子は、「草燃える」当時の岩下志麻よりも年上であるにもかかわらず、実に若々しくはつらつと見えるが、これは筆者自身が政子よりもだいぶ年上になってしまったからだろう。大河ドラマも50年以上の年齢を重ね、10代で「岩下政子」に触れた子どもも、「小池政子」を見る現在は50代。晩年の政子の年に近くなってきたのだから、こうした錯覚もしかたあるまい。
現代の会話のようなセリフ
第4回までの放送を振り返ると、さすがに三谷幸喜の原作・脚本だけあって、近年の歴史研究の成果なども盛り込み、アップデートされた中世前期の武家社会の姿が鮮やかに描かれている。もちろん、コメディタッチの演出も健在だ。
こうした喜劇的な要素や、現代的なセリフ回しについては、さまざまな批判も見かける。いわく、「歴史劇である大河ドラマにふさわしくない」「不謹慎である」「喜劇作家は大河の脚本家にふさわしくない」――。ほとんどイチャモンに近い評言も目にする。
しかし、それは誤解や思い込みにもとづく間違った評価だ。
コメディ的要素、現代的なセリフ、これらは、すでに「草燃える」の時代から大河ドラマに採用されていた。現代語については、そもそも「草燃える」の原作となった『北条政子』『炎環』などの小説自体が、いかにもという時代劇調のセリフ回しを避けて現代の会話のようなセリフに徹していた。これは作者の永井路子が意図的にしたものだ。800年近くも前の鎌倉時代も、その時代に生きた当事者たちから見れば「現代」である。その時代特有のイメージを完全に壊してしまうわけにいかないが、現代の読者・視聴者が登場人物の心情に寄り添うには、大仰な時代劇口調は避けるべきだという、作家としての信念に基づく判断だった。
そして、「草燃える」の脚本を担当した中島丈博も、初めて時代劇に取り組むにあたって、800年前の人物を現代に甦らせることに主眼を置き、そのためにセリフは口語体でなければならないと感じていた。そして、原作者の永井から、初顔合わせの折に「政子を喜劇的な女として描けないか」と持ち掛けられ、意気投合したという。
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