AIで脳の不老不死を実現なら… 専門家が語る「ゆっくり開発」する重要性とは

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AIが自律性を獲得…では人間の自律性は?

 例えば昨年、「フェイスブック」は社名を「メタ」に変更し、メタバース(仮想空間)の開発に力を入れる方針を明確にしました。仮想空間と聞くと、一見、楽しそうで便利に思えます。しかし、そこでは生身の肉体の価値は下がります。全ての楽しみは仮想空間上にあるのだから、肉体は栄養剤でも注射して適当に保っておけばいいといった具合に。AIによるベネフィットを否定するわけではありません。ただし、それが本当にウェルビーイングを向上させると言えるのか、やはりよく考えるべきでしょう。

 立ち止まって考えることなく、このままAIの自律性獲得に向けてまっしぐらに突き進み続けたとします。そこではかなり複雑で厄介な問題が生じる。それは「人間の自律性」とは何かという問題です。AIも自律性を獲得している以上、人間の自律性とAIの自律性の線引きは極めて難しくなります。

 そして自律性を持ったAIはもはや単なる「道具」ではない。それは人類にとって未知の存在としか言いようがありません。その「存在」に、私たちはどう接することになるのでしょうか。ためしにシミュレーションしてみます。

 自律性を持ったAIが殺人や反道徳的行為をしたとします。「なんでそんなことをしたんだ!」と、果たして人間はそのAIに怒りをぶつけるでしょうか。AIが「ごめんなさい」と謝罪したら、「反省したみたいだから許してあげよう」となるでしょうか。

 私にはそうは思えません。「どうしてそんなAIをつくったんだ!」と、企業・製作者側、つまり人間側に怒りの矛先は向くはずです。AIには道徳的な人格を認めにくく、どうしても機械として見てしまう。結局のところ道徳的責任を負わせる、負うことができるのは人間のみというところに行き着くと考えます。

「電卓」との差異

 しかし、ことはそう単純ではありません。なにしろ、AIは自律性を持っているのですから、まさにAI自身の判断で殺人を犯したわけで、企業・製作者側もどうしてAIがそんなことをしたかは分からない。

 医療や裁判でも同様の問題が生じます。AIが医療ミスを起こしたり、判決を下す。その判断をした責任は、AIにあるのか、それとも企業・製作者側にあるのか――。責任の所在は極めてあやふやなものになります。

 ここに至ると、ではそもそも「人間性」とは何なのかという、より根源的な問いに私たちは直面することになる。これまでの機械の機能である「自動」と、AIが備えることになる「自律」では次元が違い、まさに異次元の存在が登場することになるのです。

 繰り返しになりますが、AIがもたらすベネフィットを否定するつもりはなく、利用すべきはどんどん利用しても構わない。

 例えば、現代を生きる私たちの直感は、果たして本当に自分のものと言えるか微妙な状況になっています。自分の直感で選択したつもりでも、AIによって取捨選択されたものをスマホなどを経由して選ばされているだけとも言える。つまり、直感をAIに依存しているわけで、私たちの直感力が衰えていくことは間違いない。しかし、AIの判断のほうがすぐれているのであれば、それを利用するのは問題ありません。

 例えるならば、電卓に頼っていると私たちの暗算・筆算力は衰えていきますが、だからといって電卓を禁止するのは愚かしいように、直感力の衰えだけを理由にAIを禁止するのは馬鹿げています。

 ただし、本当にAIの判断のほうが優れているのかは、その都度、自覚的に考えるべきです。計算を電卓に任せたほうがいいのは自明ですが、では恋愛の場合はどうか。「自分の直感としては何となくAさんのことが好きなような気がするんだけれど、AIはBさんにしろと言っている」。そんな時、AIの判断力はすごいからと、自分の直感を手放してAIを信じるべきなのか。

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