「賞金が男性と同じでなければボイコット」 性差別と闘い女子プロテニス協会を設立したキング夫人の半生(小林信也)

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 中国・彭帥選手の騒動で当初から支援の声をあげた女子プロテニス協会(WTA)。創設者のビリー・ジーン・キング夫人の名もたびたび紹介された。

 キング夫人は1960年代から80年代初めまで、常に優勝を争うトップ選手だったばかりでなく、女性の社会的地位向上を訴え、運動の先陣に立つ闘士でもあった。当時の表現で言えば「ウーマンリブの旗手」だった。

 66年のウィンブルドンで初優勝、68年まで3連覇を飾った。67年はウィンブルドンと全米でいずれもシングルス、ダブルス、混合ダブルスを完全制覇。さらに68年全豪、72年全仏に優勝してキャリア・グランドスラムを達成した。まさに女王の名に相応しい存在。71年にはシングルス17勝、ダブルス21勝で年間獲得賞金10万ドルを超えた初の女子選手となった。

 しかし、キング夫人の不満はまさにそこにあった。当時、女子の優勝賞金は、男子の8分の1程度。この格差に敢然と抗議し、行動を起こしたのだ。

 2017年に公開された映画「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」は、キング夫人の闘いをテーマにした伝記的作品。この映画を見て「面白かった」と伝えた日本のテニス関係者に、彼女自身が「だいたい事実だからね」とうなずいたという。映画の序盤にこんな会話がある。優勝直後、主催者に「女性の賞金が安すぎる。男性と同じにすべきだ」とキング夫人が抗議する場面だ。

女子だけの団体を設立

「観客を呼べるのは男子の試合だ」、男性の主催者が冷たい顔で撥ねつける。キング夫人は納得しない。

「男子は女子の8倍の賞金よ。客も8倍呼べる?」

 黙り込む主催者にキング夫人が畳み掛ける。

「女子決勝のチケット販売数は男子と同じよ」

「今日はそうだった」

「賞金も同じにすべきよ」

「無理を言うな。そんなに金は出せない」

「どういう理屈で?」

「まず男には養うべき家族がいる」

「うちは私が養っている」

「単純なことだが、男の試合は見ていて面白い。スピードがある。力強い、競争も激しい、事実だ。キミたちは悪くない。生物学的な差だ」

 主催者の主張は当時の男性社会の代弁だろう。その答えにキング夫人は以後のツアー・ボイコットと女子だけの新団体設立を宣言した。それがWTA誕生の序曲だった。

 多くの女子選手たちが彼女に賛同し、行動を共にした。資金難が案じられたが、バージニアスリム(フィリップモリス社)がツアー・スポンサーに名乗りを上げ、WTAは波乱の中で船出する。

 そして73年、キング夫人らは全米オープン主催者に対し、「女性の賞金が男性と同じでなければ大会をボイコットする」と通告。主催者は渋々ながらこれに応じ、全米オープンは四大大会で初めて男女の賞金額が同じになった。

 第1シードのキング夫人は3回戦で敗退。優勝したマーガレット・スミス・コート夫人(豪)が、男子と同額の優勝賞金2万5千ドルを獲得した。

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