皇籍復帰の最筆頭「賀陽家」とは? 有識者会議で示された「皇位継承順位系図」の中身とは

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独身の若い男系男子がいる4家

 もっとも現行の皇室典範では、皇室が養子を迎えることは禁じられている。

「明治に入って永世皇族制度が採用され、皇族が増えていく中、国の財政的見地から皇族数の増加を抑える必要が生じ、養子が禁止されてしまったという経緯があります。反対に現在は皇族数の減少が懸念されているのですから、例えば皇室典範と一体をなす『養子特例法』を作って迎え入れ、独立する際に新しい宮家を創設してもよいのではないでしょうか」(同)

 実際に、離脱した旧宮家の中には「その時」に備えるかのように男系の血脈を受け継いでいる家庭も少なくない。冒頭の賀陽家は、まさにその筆頭なのである。先のジャーナリストが言う。

「11宮家のうち、現時点で独身の若い男系男子がいるのは賀陽家、久邇家、東久邇家、竹田家の4家。あわせて10人は下らないといいます」

 なかでも6人の男系男子を擁する東久邇家は、2019年に亡くなった当主・信彦氏(掲載図の25番目)のご母堂が上皇さまの姉にあたるなど令和の皇室とも極めて近しく、皇籍復帰の“最有力候補”とも目されてきたのだが、

「実はこの4家のうち、現在の皇室に最も近い男系男子を擁するのは、賀陽家なのです」(同)

 というのだ。

皇位継承順位系図

 現に、昨年末まで開かれていた有識者会議において、事務局である内閣官房の皇室典範改正準備室が作成した資料には、離脱した11宮家もあわせた47年当時の「皇位継承順位系図」が示されている(掲載の図)。図では、賀陽宮家の当主だった賀陽恆憲氏(78年に77歳で死去)から連なる男子に、4家の中で最上位の順位がつけられているのだ。

 今回の有識者会議でもヒアリングを受けた、皇室に詳しい麗澤大学の八木秀次教授は、

「特に意義があるのは、この図が現行の憲法および皇室典範のもとで定められた順位だという点です」

 そう指摘する。日本国憲法は1946年11月、現・皇室典範は47年1月にそれぞれ公布されており、

「旧皇族は決して“過去の人たち”ではないということです。その上で図を見ると、皇籍離脱の時点で賀陽宮恆憲王の皇位継承順位は8番目。筆頭は明仁親王(上皇さま)で、6番目が寛仁親王でした。7番目は山階宮武彦王となっていますが、男子が生まれなかったため、賀陽宮に生まれた6人の男子が、長兄から順に9~14番目まで皇位継承権を有していました。この順位は引き継がれるため、世代が移っても賀陽家の男子の皇位継承順は、他の旧宮家の男子よりも高いと考えられます」(同)

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