「借金が300万円あった」 「笑点」デビュー・桂宮治が明かす貧乏時代と妻への感謝
消費者金融で300万円の借金
〈1976年、東京都品川区で生まれた宮治は都内の私立高を卒業後、役者の道を志す。二つ年上の妻の明日香さんと出会ったのは20代の頃だ。〉
カミさんとは芝居の公演で出会いました。向こうも役者だったんですけど、最初は友達程度の付き合いでした。その頃、芝居の先輩から化粧品の販売のアルバイトがあるよ、と誘いがありました。しゃべる方は得意だったので、仕事を始めると、あれよあれよと化粧品が売れていく。北海道から沖縄までワゴンセール販売をしてまわりました。一般サラリーマンの平均年収を超える額をいただけるようになりましたが、役者時代に消費者金融で300万円程度の借金があったんです。稼ぎ始めてからも遊んでばかりで利子しか返せていないという体たらく……。
付き合い始めていたかみさんに借金だらけだと告白したら、同棲する時に、敷金・礼金・冷蔵庫にベッドを揃えてくれて、銀行のキャッシュカードを預けるとあっという間に借金が返済できた。彼女は昼に芝居、夜は銀座でホステスをしていました。役者でホステスやっている人は多かったんですよ。それで蓄えも貯まったということで結婚することに。僕が30歳の頃でした。
披露宴で会社を辞めることを宣言
すると、恵比寿のレストランで披露宴をする前にかみさんから「このまま営業し続けてもつらいんじゃない?」と言われたんですね。
確かに最初は売り上げが伸びるから嬉しかったんですけど、そのうち、僕と出会ったお客さんは不幸になっているんじゃないかと考えるようになったんです。本来なら要らないものを僕のトークによって買わされてしまう。僕に出会わなければ、買わなかったかもしれない。そう思うと仕事が嫌になってきてしまって。ありがたいことにかみさんは僕の心中を分かっていたんですね。「一度の人生、やりたいことやれば」「貧乏でもいいじゃない」って。そこで披露宴の挨拶で会社を辞めますと宣言したんです。
その頃にたまたまYouTubeで桂枝雀師匠の「上燗屋(じょうかんや)」に出会いました。失礼ですけど、なんでこんなおじさんが何百人ものお客さんを笑わせられるのか、と衝撃を受けて、「これやろう」と落語の道に進む決心をしました。
まずは師匠探しです。いろんなところに落語を見に行って、師匠となる桂伸治が出囃子にのってへらへらしているのを初めて見た時、体に電気が走る衝撃で、この人以外には人生を預けられないと思ったんです。
[2/3ページ]