亡くなった石原慎太郎氏の意外な中国観 野中広務氏の仲介で中国大使と会食した日

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「中国嫌い」ではない

 石原は中国の歴史や中国共産党草創期の指導者にも精通し、2011年3月、4回目の都知事選に出馬した際も事務所で私に「もう疲れたよ、日暮れて途遠しだよ」と話した。「日暮れて途遠し」は史記伍子胥列伝にあり、こういう言葉が自然に口をついて出る人でもあった。先に紹介した都知事辞任会見でも毛沢東の矛盾論や実践論を紹介していたし、周恩来の最新の伝記にも目を通していた。田中角栄の周恩来評を私に教えてくれたのも石原だ。台湾には何度も足を運び、李登輝・元総統との盟友関係も知られたが、政治家として中国大陸に足を踏み入れたのは2008年の北京オリンピック開会式の一度だけだった。しかし、日本の若者には覇気がないなどと手厳しい石原も、北京でボランティアを勤める若者を高く評価していたそうだ。

 中国嫌いとされる石原のエピソードは枚挙にいとまがない。しかし、私の知る限りそれはあくまで表面的なものなのではないか。むしろ、彼は中国の潜在力に気づいていたからこそ批判を続けていたのかもしれない。いや自らの才能に強い自信とコンプレックスを持つ石原は、中国共産党の体制に内心あこがれさえ抱いていたような気がする。石原は日本を愛し、アメリカからも中国からも独立した自尊心ある国家を望んだ。

 いま、日本はGDPで中国に抜かれ、もはや先進国と言えない状況になっている。石原の魂魄は、歴史としての中国と、日本を圧迫する現代中国とを切り分けて考えながら、彼の大国を大胆に批判する精神を今の私たちに教えてくれている。

武田一顕(たけだ・かずあき)
元TBS北京特派員。元TBSラジオ政治記者。国内政治の分析に定評があるほか、フェニックステレビでは中国人識者と中国語で論戦。中国の動向にも詳しい。

デイリー新潮編集部

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