【追悼】1枚110万円の作品も 画家・石原慎太郎が「初個展」で息子と並んで見せた笑顔
亡くなった石原慎太郎氏の肩書は実にさまざまだ。作家。参議院議員。環境庁長官。運輸大臣。東京都知事。政党代表……このあたりが普通の訃報で伝えられるところだろう。
ただ、石原氏が欲していた肩書は他にもあった。
「画家」である。
その熱の入れようは単なる趣味の域を超えていた。
【写真】愛くるしい8歳の良純氏と自宅リビングにて 石原慎太郎氏の意外な“子煩悩ぶり”
「ご自宅や知事室にはご自身の作品が額装して飾ってありました。青年時代のデッサン作品を見せながら『なかなかの腕前だと思うんだよ』とセンスを自慢されることもしばしばでした。小説だけじゃなくて絵の才能もある、と思っていらっしゃったのでしょう」(知人の話)
日曜画家、などと評したら「馬鹿野郎」と怒られそうなほど、絵には思い入れがあったようで、1992年にはなんと銀座の画廊で初の個展も開いている。
「CHAOS 92」と題されたこの個展には、石原氏の作品28点が飾られていた。以下、「FOCUS」(1992年6月19日号)をもとに、「画家・石原慎太郎」が銀座画廊デビューした時の模様を見てみよう。
***
この「新人画家」の大物ぶりは価格からも見て取れる。なんと80万円と110万円の2種類という強気の値段設定だったのだ。
当時、石原氏が語ったところによれば、絵に熱中し始めたのは文学とともに中学時代にさかのぼるのだという。
「片面に絵が描かれた画用紙2枚をはりあわせ、新品の画用紙に仕立てて絵を描いた」り、弟の裕次郎氏がお説教されているそばでせっせと絵を描いていた、なんてエピソードもあるほど絵に熱中していたのだそうだ。
『太陽の季節』で芥川賞を受賞したのは23歳の時だったが、文壇の寵児となってからも合間を見ては描き続け、1980年に同作の豪華本が30万円で限定発売されたときには、自身で各本の表紙に直接油絵を描いたのだという。
背後に飾られている作品の数々は、1年半ほどのあいだに描きためたもの。白い紙に墨で大胆に描かれた抽象画がメイン。抽象画だから仕方ないのだけれど、何を描いているのかはよくわらかない。石原氏は、「私の心のうちの混沌について描いた」と解説をしている。
ちなみに石原氏の隣に立っている青年は、四男の延啓氏。当時は画家のタマゴ扱いの存在だったが、その後現代画家としてデビュー。石原都政時代に、東京都が始めた芸術事業に参加したことが話題にもなった。
個展会場には小渕恵三、平岩外四、木村太郎、楠田枝里子など各界名士からの花束が飾られ、レセプションパーティーには政治家仲間はもちろん石原軍団も現れた。初日だけで4点が「売約済み」となったという。
青年期の夢をかなえ、息子と芸術談議を交わす石原氏の表情は普段よりも柔らかく見える。
この3年後、石原氏は国会議員を辞職。さらにそれから4年経ってから東京都知事となり、4期目途中まで務めた後に国政復帰し、政権奪取を目指す。文学、政治、社会に関する大胆な発言や型破りな構想は常に賛否両論を巻き起こし続けた。
画家としての才能はさておき、常に大きな絵を描こうとした人生だったといえるだろう。