3度の「結婚、不倫、離婚」で今は独身… 48歳男性を惑わす“サイショウドウキョ”の家庭環境
「結婚ってなんだかわからないうちに結婚してしまった」
彼が高校生のときに祖母が亡くなった。祖母が息子と、息子を取り巻くふたりの女性をどう思っていたのか、彼はまったく知らない。今になって「聞いておけばよかった」と思うこともあるらしい。
「僕はそのまま東京の大学に進学しました。家まで新幹線で3時間以上かかりますから、ほとんど帰りませんでした。大学1年の後期試験が終わったころ父から連絡があって、母が末期癌だと。膵臓でした。わかった時点で、もう余命3ヶ月あるかないかと言われたそうです。試験が終わってすぐ駆けつけると、母は病院の個室に入院していました。父に会うと、ぼろぼろ泣くんです。そんなことなら、もっと母を大事にしてやればよかっただろうと言ったら『大事にしてたよ』って」
母とはゆっくり話す時間があった。聞いてはいけないかもしれないと思いながら、「とうさんと暮らして幸せだった?」とうっかり言ってしまったことがある。母は首を傾げ、泣き笑いのような表情になった。
「言葉にはしなかったですね、母は。でも最後は僕と父で見送りました。それから父はおばちゃんと変わらず暮らしていたけど、結婚はしなかった」
そんな家庭環境だったから、彼は自分が結婚するときは連絡もしなかった。しばらくたって父親に電話で「結婚したから」と言っただけだ。父はしばらく押し黙ってから、「そうか」とだけ言った。
「僕自身、結婚ってなんだかわからないうちに結婚してしまった。彼女への責任感もあったけど、本音を言えば、ここで結婚しなければ一生結婚しないかもしれないという強迫観念があったのかもしれません。自分が世間の価値観からずれているのはわかっていたから」
直樹さんにとって、最初の妻は最初の女性でもある。父親のような生活をしないよう、防衛本能として「最初の彼女と結婚したい」と思ったのかもしれないと本人が言った。
愛とか恋とかを語る資格がない
彼は悪気がないまま、真菜さんと関係を続けた。一方で、家庭では妻を尊重していたともいう。
「あのころ、妻は仕事最優先でしたから、最低限の家事は僕がやっていました。『ごめんね、ありがとう』と妻はうれしそうだった。それでも数ヶ月に1度くらいはふたりでゆっくりできる日がありました。そういうときは妻の行きたいレストランを早くから予約したり、作ってと言われるものを料理したり。でもそれは、妻を愛しているからしているのか、夫だからしているのか、自分でもわからなかった。そもそも愛とか恋とかを語る資格がないんだと思います」
卑屈な感じではなく、直樹さんはごく自然にそう言った。生まれ育った家庭がすべてではないにしろ、彼は影響を受けたと思っているのだろう。一般的ではない価値観をもってしまっただけなのだが、それが彼を遠慮深くさせているような気がしてならなかった。
「真菜とのつきあいは2年くらい続いたかな。あるとき彼女が妻に連絡したんだそうです。『私、直樹さんとつきあっています』と。妻は帰宅して本当なのと尋ねてきた。だから本当だよと答えました。でも離婚するつもりなんてまったくなかった。語らう相手がほしかったんですよ。真菜はいい人だったから、会っていて気持ちがなごんだ。それだけのことだよと言ったら妻にビンタされました。『女性を自分の都合のいいように道具にするなんてひどいと思わないの?』って。妻は真菜の味方なのかと考えたら、わけがわからなくなりました」
一夫一婦制であることはわかっている。だが、それは建前だということも知っている。直樹さんは自分の思いのままに行動しただけなのだ。そこに共感できる人がほとんどいないとしても。
「妻から離婚を切り出され、それぞれの荷物を持って賃貸マンションを解約しました。最後に『あなたに寂しい思いをさせてごめん。でもあなたはつきあっているときとは変わってしまった』と言われました。違う、つきあっているときには自分の本性を出さなかっただけだと言いたかったけど、僕も『きみがいなくて寂しかった』とだけ言いました。その後、妻は同じ会社の同僚の家に転がり込んだそうです。どうやらつきあっていたらしい。1年後には結婚したと共通の友人から聞きました」
[2/4ページ]