氷川きよしが独占告白していた“自殺願望”と人生後半の生き方 「自分の心のままに生きたい」

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演歌の型に収まらない「自分の性分」

 だが、突然の“路線変更”について氷川自身の口から明確な説明がなされることはなかった。ゆえに芸能マスコミをはじめファンの間からもさまざまな憶測が生まれたが、彼が本誌に自らの思いを告白してくれたのはちょうどその頃のことだった。

 19年の紅白を前にした12月6日、本誌記者は氷川本人に直接真意を尋ねようと、都内にある氷川邸を訪れた。当初、彼は「事務所の許可が必要」として明言を避けていたが、寒空の下で待ち続ける記者を不憫に思ったのか、「わざわざ寒い中来てくれて大変ね」と姿を現してくれたのだ。

 まず単刀直入に、その当時の“シフトチェンジ”について理由を聞くと、氷川は以下のように話を始めた。

「やっぱりデビューして20年経ったことが大きい。自分の中で、10年じゃまだ生意気だけど、20年でようやく歌手として成人を迎えたような感じがしてきて。これまで本当の自分を出さないように、出さないように生きてきた。女性っぽさとか透明感とか、美について自分はいろいろな見せ方を持っていても、出しちゃダメと思いながら、精一杯頑張ってきた。けれど、素直な気持ちを言わず生きてきたって思いも募ってきて……。そもそも演歌というのは様式美、つまり、こうあるべきという型がある。日本独特の素晴らしい音楽だけれど、その中に収まらない『自分の性分』というものもあって……」

自殺願望

 福岡で生まれ育った氷川は、同じ九州は長崎に生まれ、上京してから歌手としてデビューした大先輩・美輪明宏への思いと共に、自らの衝撃的な過去についても明かしたのだ。

「美輪明宏さんも、自分と同じ九州出身で、長崎では“女っぽい”からっていろいろイジメにもあっていた。そういう話を聞いていたから、『ヨイトマケの唄』をカバーさせていただくようになったんです。でも、世間が求める『氷川きよし』の姿は違う。あくまで演歌の王道を歩んでほしい、男らしく生きてほしいって言われると、自殺したくなっちゃうから、つらくて……」

 言葉を選びながらも、自殺願望まで口にした氷川は、その原点をこう振り返る。

「子供の頃はナイーブで、貧乏だった。自分は生きていちゃダメだと思うくらい、コンプレックスを抱えて生きてきたんです。小さい頃はナヨっとして女の子っぽかったから、“オンナ!”とか“オカマ!”ってイジメられて苦労したこともあった。そういうふうに言われてきたから、自分をさらけ出したらダメだと。お芝居をやっても男の子らしくしようとか、『みんな一緒にさせる』という世間のルールに沿って生きてきた。人と違っているとどうしてもイジメられるのが日本じゃないですか。だからデビューさせていただいてからも、演歌の世界で、男の世界で生きていこうとやってきたけれど、なにか違うと思っていて……」

 内なる違和感は、葛藤の末に演歌歌手としての名声を得ても、拭い去ることができなかったという。

「デビューからこれまではプレッシャーもあって、それに応えようとして体調を崩し具合が悪くなり、精神的にもパニックになり落ち込むこともあった。どこか違うというか、自分の持っているものに合わせて音楽を表現したいなと思って、路線を変えたんです」

 それが氷川にとっての“限界突破”となり、大きな変化をもたらしたそうだ。

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