元公安警察官は見た 蓮池さんを拉致した「北朝鮮スパイ」はどこで“背乗り“する日本人を物色したか
山谷地区で接触
「その後、東京の西新井に居を構え、『松田忠雄』の名前で都内のゴム製造会社に勤務します。真面目な社員を装っていたそうですが、工作活動の手助けをしてもらうために大阪から金を東京に呼び寄せ、自宅近くに転居させています」
ゴム製造会社に勤務して1年後、夫を亡くし、3人の子どもを抱えてパートで勤務していた同僚女性と同棲を始めた。
「チェは、女性と3人の子どもを連れて家族旅行と称し、1971年から80年にかけて秋田県男鹿半島、京都府丹後半島、静岡県熱海市、東京都伊豆大島、石川県能登半島、九州・日南海岸などの地形をカメラやビデオで撮影していました。日本人を拉致するための下見をしていたのです」
能登半島では海岸にテントを張り、家族と共に1週間滞在。海岸線を念入りに撮影して、画像を北朝鮮に送った。
チェが日本人に背乗りしたのは1972年7月。東京の山谷地区(台東区)で、病気で今にも倒れそうだった福島出身の小熊和也さんを介抱して、病院に入院させた。
「小熊さんはチェのことを完全に信用していました。入院させてから10日後、チェは自分が船会社の社長であると身分を偽り、退院したら自分の会社に採用する、その気があるなら入院費用はこちらで負担すると持ちかけたのです。小熊さんは疑うことなく了承しました。すると翌日、チェは金錫斗と一緒に小熊さんの実家に行き、本籍地が福島だと不便なので東京に移して欲しいと頼み、転籍をさせました」
その後、小熊さんの戸籍を使ってパスポートや運転免許証を取得。フランクフルト、パリ、香港、ソウルに渡航し諜報活動を行った。
「背乗りするにあたって狙われるのは、真面目で犯罪歴がなく、渡航歴のない人です。パスポートを不正取得しても怪しまれないからです。チェが山谷地区に行ったのは、海外に行ったことのない人が多くいると考えたからでしょう」
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