難病を生き抜いた子供たちのいま 「骨髄性白血病」女性は起業、看護師として病院に戻った例も

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エコバッグの販売を始めたところ……

 家に帰った紗輝は母親と相談し、事業内容を考えた。ちょうど翌月からレジ袋の有料化が開始されることになっていたため、無地のエコバッグ100枚を取り寄せ、そこに得意の絵を描いて販売することにした。絵は闘病していた頃から長らく趣味として取り組んでいたのだ。

 ブランド名は「Payton’s」、価格はオーダーメイドが千円、おまかせを700円とした。それらを自身のSNSで販売したところ、わずか2週間で完売。追加で販売した商品も同様に売れた。

 これをきっかけにさまざまなところから声がかかり、販路が広がっていった。その一つがラクスケアホテルだ。ここはバリアフリーに力を入れ、看護師資格を持ったスタッフが常駐するケア施設だ。そこで紗輝の描いた絵や絵葉書を販売できることになったのである。また、ビジョンカレッジJAPANという障害者のための多機能型事業所でも、レジバッグを販売してもらえることになった。それ以外にも、奈良県のカフェが協力してくれ、自分でも専用の販売サイトを開設したりした。

 困難な時期にわずか1年で事業が軌道に乗ったのは、紗輝が闘病を通じて大勢の人たちの信頼を得てきたからだろう。最初はその仲間や医療関係者が応援してくれ、そこから話が広がっていったのだ。

幸せな時間をあげたい

 今、紗輝は、商品をより医療に近づけていくことを考えている。患者や家族向けの闘病日記をつけられる手帳や、病院で使いやすい折り紙の開発だ。彼女の言葉である。

「入院中の子供ってよく折り紙でお守りを作るんです。でも、市販の商品だと床に落としたら消毒しなければならなかったり、手術室に持ち込むのが難しかったりする。そこで何度消毒しても曲がらないような折り紙を作れないかって考えているんです。既存の商品で防水の折り紙もあるにはあるのですが、病室で使うには勝手が悪いので、ちゃんとしたものを開発したいんです」

 長い闘病生活を過ごしてきた彼女ならではの発想だろう。

 また、商品販売だけに留まらず、日本こども色彩協会で、色と言葉を通じて子供の知性と個性を伸ばす色彩知育の認定講師の資格を取り、医療的ケア児に向けた講座を開くことも考えているという。

「昔、私が通っていた放課後等デイサービスで、絵の先生が定期的に画材を持って来て子供たちに教えてくれたんです。私もそれを通して絵の楽しさを知りました。デイだけでなく、病院の病児保育やリハビリなどでも絵を描くことが行われています。今度は私が資格を取って絵の先生になり、子供たちに幸せな時間をあげたいって思っているんです」

 闘病経験は紗輝に、他の人には見えない、豊かな世界を示したのだろう。

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