難病を生き抜いた子供たちのいま 「骨髄性白血病」女性は起業、看護師として病院に戻った例も
病院内「中高生の会」
その夢律美が忘れられない患者がいる。大阪市立総合医療センターで働きはじめて間もない頃に担当した久保田鈴之介だ。
鈴之介は、中学時代に骨のがんであるユーイング肉腫が判明。一時は回復したものの、名門・府立大手前高校に入学した後に再発して再入院してきた。この時、文武両道を絵に描いたような彼は、持ち前のリーダーシップを発揮し、病棟の生徒たちを集めて「中高生の会」を結成した。夜に集まって好きなことをしたり、励まし合ったりするサークルのようなものだ。
さらに彼は京大医学部への進学を公言し、橋下徹市長(当時)にメールを送り、入院高校生向けの学習支援制度の創設を訴えた。そして、市から非常勤講師を派遣してもらう仕組みをつくったのだ。大勢の患者を励まし、制度まで変えたのである。
しかし、病魔に打ち勝つことはできなかった。高校3年の終わり、小児がんの終末期になっても大学進学をあきらめず、センター試験を受けるが、直後に意識が薄れ、13年1月30日に帰らぬ人となったのだった。
「家」のようなところ
当時、この中高生の会のメンバーだったのが、夢律美の後輩看護師となった弥十郎陽香(22歳)だ。彼女は小学生になって間もなくリンパ管腫を発病、6年生の時には血管腫による血小板の減少、出血が起きるカサバッハ・メリット症候群と、リンパ管組織が浸潤して骨溶解を招くゴーハム病も見つかり、それ以降は入退院をくり返すことになる。
陽香が鈴之介と出会ったのは中学1年の時だった。病棟で鈴之介の方から明るく声をかけてきたのだ。
彼女は振り返る。
「スズ君(鈴之介)に中高生の会を作ってもらったおかげで、病棟で過ごした時間を私なりの青春時代だと思えるようになりました。夜に5、6人で集まって携帯でふざけて写真を撮ったり、サッカー日本代表の試合を応援したりするんです。修学旅行の夜みたいな時間でした。もちろん、病気のことも話しますし、仲間のしんどい時は病室に行って励まします。そうやってみんなで支え合っていたんです」
中高生の会を通して、失われた10代の当たり前の日常を必死に取りもどそうとしていたのだろう。
中学2年で退院した後も、陽香にとって中高生の会は「家」のようなところだったという。いったん社会に出れば、周りに難病を理解してくれる人はいないし、ハンディを背負って生きていかなければならない。それが辛い時、中高生の会のメンバーに連絡を取る。同じ仲間がいると思うだけで心の支えになった。
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