難病を生き抜いた子供たちのいま 「骨髄性白血病」女性は起業、看護師として病院に戻った例も
当初は小児がんサバイバーであることを隠して勤務
夢律美は振り返る。
「闘病中に感じたのは、看護師の存在の大きさでした。移植にはマルク(骨髄穿刺)という検査があるんです。骨髄に注射して骨髄液と組織を採取するもので、すさまじい激痛を伴います。でも、私は小児病棟で一番年上だったので、『痛い』とは言えなかった。そんな時、看護師さんが『我慢しないで、しんどかったらしんどいって言ってええからね』って言ってくれて、ものすごく大きな安堵感に包まれたんです。看護師さんの言葉の温かさとか力強さに感動しました」
それ以外にも、別の看護師が仕事帰りに、個室に一人でいる夢律美に会いに来てくれたり、4人部屋の同世代の患者をつないでくれたりした。生きられるかどうかわからない状況だったから、彼女らの厚意の一つひとつに涙が出る思いだった。それが看護師を目指した理由だった。
地元の香里ヶ丘看護専門学校卒業後の08年、夢律美は大阪市立総合医療センターの小児病棟の看護師になった。最初は、小児がんサバイバーであることを隠していたという。経験の押し付けや、患者に過度な期待を抱かせることになるのではないかと思ったのだ。
だが、ある日、先輩看護師からこう言われた。
「あなたには小児がんサバイバーという私たちが持てない武器があるんだよ。それを使わなきゃもったいないよ」
夢律美はその言葉に背中を押されて過去を話しはじめた。そして自分の経験が患者や家族にとって大きな励みになることを実感したのだ。
「手術の1年半後には彼氏おったで!」
たとえばある日、消灯時間を過ぎても、小児病棟にいた男子中学生二人が神妙な面持ちで話をしていたことがあった。二人とも造血幹細胞移植を待つ身だった。
「俺ら、この年齢で移植受けるやん。これから、俺らに彼女できるのかな」
術後に死亡したり、重度の後遺症に苦しんだりする仲間を見てきたので、不安でたまらなかったのだろう。
夢律美はその気持ちが痛いほどわかった。だからこそ、明るく振る舞って言った。
「人それぞれやけど、私なんて手術の1年半後には彼氏おったで!」
二人の表情がパッと輝いた。夢律美の言葉に何にも代えがたい実感と希望を感じ取ったのだろう。
夢律美は言う。
「患者さんは退院した後も外来で通院して経過を診ることになるのですが、サバイバーの私と会うと安心できると言って声をかけに来てくれる人もいます。彼らにしてみれば、自分と同じ痛みや苦しみを知っている人には特別な共感を抱くんでしょうね。そう言ってもらえると、20年くらい前の経験であっても、こんなふうに役に立っているんだと思えて嬉しいです」
今、彼女は結婚し、家庭と仕事を両立させて生きている。
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