京都大学前総長・山極壽一が勧める「スマホ・ラマダン」とは 場の共有、自由時間の確保がキーワード
人間社会を作る三つの自由
さて、人間の社会を作っているのは、次の三つの自由だと私は考えています。動く自由、集まる自由、語る自由です。動く自由とは、どこにでも行けること、いろんな集団を渡り歩けることを指します。集まる自由とは、複数の集団に所属できることや、未知の集団にも入っていけることを指します。語る自由とは、話すことによって自分を表現することや相手を理解することを指します。この三つは人間特有の行動で、他の動物にはできないことです。
たとえば、私が研究対象としてきたゴリラはひとつの集団に所属していて、一度出ると戻れない。もちろん、話すこともできません。つまり、自由に歩き、新しい集団に出会い、人々と語りあうということ、この三つは人間にこそ備わった素晴らしい自由なのです。
この三つはそれぞれ切り離し難いものです。歩き、集まり、語り合う。人間は誰か、あるいはなにかに出会うことで気づきを得ます。「三人寄れば文殊の知恵」という言葉がある通り、人は出会い、寄り集まって、語り合うことで知恵を得てきたのです。この三つの自由を行使するには、自分が主体的に行動する時間が必要です。その貴重な時間を、人間らしい自由を行使するために確保してほしいのです。
スマホ・ラマダン
私自身はスマホを持っていますが、いつもカバンの中で必要な時にしか出しません。それで十分だと思っています。スマホが便利であることも、すでに生活に欠かせないものになっていることも否定しません。しかし、それに振り回されて自分の時間を失ったり、メッセージのやりとりを優先して身体的なコミュニケーションをおろそかにしてしまったりすることは、避けたほうが良いでしょう。そこで、1日のうち数時間だけでもスマホを見るのをやめてみるのはどうでしょうか。
私はこれを「スマホ・ラマダン」と呼んでいます。ラマダンとは、イスラム教における断食を中心とした慣習のことで、この期間、人々は日の出から日没までのあいだ飲食をしません。これにならって、短期的にスマホから離れてみる。すると思いのほか、自由な時間があったということに気付かされるかもしれません。
(取材・構成 濱野ちひろ)
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