京都大学前総長・山極壽一が勧める「スマホ・ラマダン」とは 場の共有、自由時間の確保がキーワード
社交の場の「リズム」
スマホにかじりつく時間が長くなってしまった現代人が抱える最大の問題は、身体的な同調を行うリアルな場に参加する機会や動機が減っていることでしょう。
オンラインでの飲み会は画面越しに顔を合わせているのだからいいのではないか、と思われるかもしれません。しかし残念ながら、これは場の共有にはなりません。なぜならばひとつの空間で同じ味や匂いを共有しているわけではないからです。ですから、飲み会や雑談も、信頼関係を深めるためには顔を直接合わせて行うほうがいいのです。
場を共有し、同調する活動といえば、社交が挙げられます。ダンスパーティー、コンサート、食事会、お茶会、スポーツ観戦、歌舞伎の観劇、さまざまなかたちの社交があります。参加者はその場にふさわしい服装に身を包み、求められる作法にのっとって振る舞います。社交とは、いわばホストが提示する物語に参加し、全員で物語を完成させていく共同作業です。
社交の場には「リズム」があります。ここでいうリズムとは、その場に特徴的なマナー、服装、身のこなし、作法、しつらいなど、文化を構成する要素となるものを指します。歌舞伎の大向こうがわかりやすい例かもしれません。見せ場になると「成田屋!」などと客席側から声がかかる。このとき、客も歌舞伎役者と一緒に舞台空間を作っています。場に特有のリズムを共有することは、そこにいる人々の身体をつないでいく、いわば音楽的コミュニケーションとなります。
リアルな空間で行われる、リズムを共有し同調する音楽的なコミュニケーションは、人々の身体をつなぐ仕組みとして働いてくれます。いっぽうスマホで行うやりとりは、言葉によって置き換えられる知識の流通に重きが置かれており、これは脳をつなぐ仕組みである、といえるでしょう。
人から知恵を受け取る
わからないこともスマホで検索すれば、ある程度のことは説明してくれます。デジタルネイティブのZ世代にとっては、知識というものはすべてスマホの中にあるものだと思えるのかもしれません。
私が学生だった頃、知識というものは本の中か人の中にありました。本を読み、人に聞く。スマホで得られるのは断片的な知識であることが多いのですが、それに対して本を一冊読み切るというのは、ひとつの物語を自分の中に入れることです。
また、誰かと付き合い、その人の声で知識を得るということは、その人の体の中に入っている知恵も一緒にもらうということです。知恵は人の身体と共にあり、その人が死んでしまえば一緒になくなってしまう種類のもの。生身の身体と経験を必要とする知恵を受け取り、あるいは与えて、これまでの私たちは社会を作ってきました。いまの子どもたちが、生身の身体を通じて経験を得る機会を失い、知識だけを受け取っているのだとしたら、非常に残念で問題だと思っています。
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