京都大学前総長・山極壽一が勧める「スマホ・ラマダン」とは 場の共有、自由時間の確保がキーワード
言葉が生まれたのは人類の歴史では「最近」のこと
そもそも言葉が生まれたのは、いまからたったの7万年前のことです。人類の長い歴史のなかで見れば、それは「最近」とさえいえる。当時、人類の集団の規模が大きくなり、多くの仲間と効率よく情報伝達する必要ができたために言葉というツールが発明されました。
言葉とは、視覚で得られる情報を聴覚で代用する仕組みです。もともと目で見たものについて、それがどのようなものだったのかを相手に具体的に伝える方法として発明されました。
たとえば、「ここから5分歩いて右に曲がると山がある」といったふうに、言葉を使えば目で見た事実を一度で多人数に伝えられます。ですから、言葉は知識を伝える手段としては非常に有効です。
ただし、同時に言葉には欠点があります。嗅覚、味覚、触覚については確実に伝えることはできないのです。形容詞を使って表現することはできますが、「ザラザラしている」というその手触りは、誰にとっても同じ感触ではないはず。そこで、「鮫肌のようにザラザラしている」といったように、比喩を使って表現せざるを得なくなります。匂いの表現も同様で、「嫌な臭い」では具体的にわからない。そこで共感してもらうためには「卵の腐ったような臭い」と比喩を用いるしかない。
このように言葉も一長一短で、決して万能のツールではありません。言葉は知識や情報の伝達には優れているのですが、感覚や感情を表現しきれないという特徴を備えているのです。ですから、言葉さえあれば自分の気持ちを十分に伝えられると思うのは間違いです。
人類が信頼関係を築くために繰り返してきた「場の共有」
言葉が生まれるずっと前から、人間は集団を作って暮らしてきました。進化の過程において、人類は少しずつ集団の規模を大きくしていきます。人数が多くなれば外敵から狙われる確率も減り、防衛力も増すからです。
言葉を持たなかったかつての人類が集団を作るとき、信頼関係を築くために繰り返してきたことは、「場の共有」でした。
ひとつの空間に集まり、みんなで一緒に食事をしたり、ときには火を囲んで踊ったりすることもあったでしょう。一緒に過ごし、同じように身体を動かしたり調子を合わせたりしながら共同作業をする。このような時間を過ごし、同調することによって、人々の間につながりができ、信頼が深まっていきます。信頼というのは、本来、同調作用があるところにしか発生しないのです。
誰かと一緒に食事をしたり、音楽を聞いたり、歌ったり、といった活動は現代人にとっても重要なものです。なぜならば、その場を共有することで、言葉では表現しきれない感覚を一緒に体験できるからです。
食事であれば味や匂い。音楽であれば音色やメロディー。言葉にならない感覚的あるいは感情的な部分を共有するためには、これらをともに経験し身体的に同調することが必要なのです。こうした体験を繰り返し、人と人との間には信頼関係や絆が作られていきます。
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