五輪モーグル金「里谷多英」が語る秘話 「レース中に記憶が飛んだ」(小林信也)

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お父さんがいない

「あの時と同じ経験が、もう一度だけあるんです」

 里谷が夢見るような眼差しでつぶやいた。

「金メダルを獲った長野オリンピックの決勝の時です」

 飯綱高原スキー場に2万の大観衆が詰めかけていた。

「あの日は感情の起伏がすごかった。スタート30分くらい前にも、すごく泣きました。なんでお父さんがいないんだって」

 父は前年、がんで還らぬ人となった。高校でスキー部に入って以後は、「すべてコーチを信頼するんだ」と一切口を出さず見守り続けてくれた父がいない……。

「私が泣きじゃくっているのに、コーチのスティーブ・ファーレンはすごくクールに、30分前だぞ、次はこれって感じで淡々と指示をくれて」、里谷は自然とレースに向かわされた。

「長野の時は優勝候補でもなかった。大会直前になったら、メダルが欲しいより、『自分のいちばんいい滑りを絶対しなきゃ』というプレッシャーが大きかった。誰が見ても『この人がいちばんすごかったね』という滑りがしたい!」

 決勝で里谷は最高の滑りを演じた。が、ゴール後、不安に襲われた。

「また記憶のないパターンだ、転んだかもしれない」

 あの日の苦い記憶が脳裏をよぎった。

「でも、周りがすごく騒いでいた、転んではいないんだとわかって、ふわふわした感覚でした」

 金メダルを獲得し、父との約束を果たした。次のソルトレークシティー五輪では銅を獲った里谷が振り返る。

「長野以後、3回出たオリンピックで、記憶のない滑りは、一度も経験することがなかったです」

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2022年1月27日号掲載

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