五輪モーグル金「里谷多英」が語る秘話 「レース中に記憶が飛んだ」(小林信也)
お父さんがいない
「あの時と同じ経験が、もう一度だけあるんです」
里谷が夢見るような眼差しでつぶやいた。
「金メダルを獲った長野オリンピックの決勝の時です」
飯綱高原スキー場に2万の大観衆が詰めかけていた。
「あの日は感情の起伏がすごかった。スタート30分くらい前にも、すごく泣きました。なんでお父さんがいないんだって」
父は前年、がんで還らぬ人となった。高校でスキー部に入って以後は、「すべてコーチを信頼するんだ」と一切口を出さず見守り続けてくれた父がいない……。
「私が泣きじゃくっているのに、コーチのスティーブ・ファーレンはすごくクールに、30分前だぞ、次はこれって感じで淡々と指示をくれて」、里谷は自然とレースに向かわされた。
「長野の時は優勝候補でもなかった。大会直前になったら、メダルが欲しいより、『自分のいちばんいい滑りを絶対しなきゃ』というプレッシャーが大きかった。誰が見ても『この人がいちばんすごかったね』という滑りがしたい!」
決勝で里谷は最高の滑りを演じた。が、ゴール後、不安に襲われた。
「また記憶のないパターンだ、転んだかもしれない」
あの日の苦い記憶が脳裏をよぎった。
「でも、周りがすごく騒いでいた、転んではいないんだとわかって、ふわふわした感覚でした」
金メダルを獲得し、父との約束を果たした。次のソルトレークシティー五輪では銅を獲った里谷が振り返る。
「長野以後、3回出たオリンピックで、記憶のない滑りは、一度も経験することがなかったです」
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