五輪モーグル金「里谷多英」が語る秘話 「レース中に記憶が飛んだ」(小林信也)
転んだ記憶がない
小学校5年から競技を始め、6年の時、全日本選手権で優勝する。
「そのご褒美に、スキー連盟が長野の斑尾高原で開かれる国際大会に出場させてくれたんです」
W杯の下部大会。初めて足を踏み入れた華やかな世界で里谷は舞い上がった。
「外国人がみんなすごい選手に見えた。でも私は絶対優勝すると意気込んでいた。父も見に来てくれたので」
その舞台で、里谷は異様な集中状態を経験する。
「滑り終わってすぐ父親に、『いまの滑りなら優勝できる!』と言ったんです」
すると父は渋い顔で黙っていた。里谷がもう一度確かめると、父は言った。
「多英、いま転んだぞ」
「えーっ?」、里谷は驚いた。
「私、転んだ記憶がないんです。言われても思い出せなかった」
最初のエアを跳び、二つ目に向かう途中で転んだらしいが、本当に記憶がない。
不思議な敗北を経験して、競技への情熱は深くなった。中学を卒業するまで、ずっとコーチは父親だった。
「父親の夏のトレーニングは『星一徹』みたいでした」
真剣な眼で里谷が言った。
「自宅からロードバイクで山の麓まで約30分、時速40キロくらいで行って、そこから約1時間半かけてスキー場を自転車で登る。次にまた1時間半、走って山を登る。そのあと今度は走って山を降りるんですが、斜面にある石に飛び移って降りる。石がズルッと動いたりしてすごく不安定。それを見極めながら降りる癖が自然に付きました」
その訓練がどんなコブにも瞬発的に対応できる“瞬時の判断力”を養ってくれた実感がある。
「先に起こることが頭の中にパッと来る。小さい時にやっていてよかったと思います。バランス系の感覚もすごくできました。もちろんその時は辛かった。嫌だったけど」
父親の熱意にも圧倒されて、練習に没頭し続けた。
「40代だった父も一緒に走っていましたからね。中学1年の頃から父はずっと『多英はオリンピックに出て優勝するんだ』と言っていたんです」
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