6人殺害、1人行方不明…マル暴刑事が見た「平成の殺人鬼」と呼ばれたヤクザの冷酷
病院の窓を割って発砲
その不満を一手に引き受け、大前田一家への“返し”を企てた人物こそ、住吉会幸平一家矢野睦会組長の矢野治であった。矢野は翌年2月に大前田一家の縄張りのある群馬県前橋市に配下の組員を派遣。組長宅に向けて拳銃を発砲、爆弾をしかけるなどの報復を企てた。だが、いずれも失敗に終わった。
「矢野は配下の者たちに『次はバズーカ砲を使う』と語っていたくらい狂気じみていた。この返しの失敗が、内ゲバのような殺しへと発展するのです」
02年2月下旬、日本医科大学付属病院(東京・文京区)で、入院中の暴力団幹部が二人組の男たちに拳銃で襲撃され、死亡する事件が発生した。被害者は、住吉会幸平一家石塚組組長の石塚隆。二人組は、ICUのある部屋の窓を外からハンマーで割り、窓から半身を乗り出すようにしてベッドに寝ていた石塚めがけて4、5発発砲して殺害した。石塚は前日、豊島区要町の路上で数人の男に囲まれ、拳銃で撃たれ重傷を負ったため病院に担ぎ込まれていた。二度も石塚を襲わせ、息の根を止める指令を出した人物こそが矢野だった。
石塚は大前田一家への報復作戦の行動隊長だった。襲撃に失敗した石塚はこのままでは矢野に殺されると考え、警察に出頭する準備を進めていたのである。それを察知した矢野が配下の人間に石塚を始末するよう命じたのだった。
「口封じのためです。最初はさらった後に埼玉県の山中に埋める計画で、事前にその穴まで掘らせていた。だが、スタンガンを打ったものの石塚が暴れたため、仕方なく弾いてしまったのです。病院に駆けつけたのも、石塚が何か喋っていないか不安で仕方がなかったのでしょう」
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