6人殺害、1人行方不明…マル暴刑事が見た「平成の殺人鬼」と呼ばれたヤクザの冷酷

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「平成の殺人鬼」と呼ばれたヤクザがいた。前橋スナック銃乱射事件の指示役として死刑を宣告されたのち、獄中から2件の殺人を告白した矢野治・元死刑囚(享年71)である。最後は、東京拘置所で自ら命を断った。彼が関与した殺しは判明しているだけでも4件6人。警視庁で40年間、ヤクザを追いかけ続けてきた“マル暴刑事”が矢野・元死刑囚と対峙した日々を振り返る。(文中、一部敬称略)

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始まりは斎場だった

「最初は親分のため、組のためという任侠心を持った男だと思っていました。でも、その後、彼の周りで起きた数々の事件を調べていくうちに見方が一変した。保身ありきで、自分に不都合な人間は誰であろうと次々と消していく恐ろしい人間なのだと」

 こう振り返るのは、2018年に警視庁組織犯罪対策部の管理官(警視)を退官した櫻井裕一氏である。櫻井氏は40年間に及ぶ在職中のほとんどを、暴力団事件担当、通称“マル暴”一筋で歩んできた。昨年、「マル暴 警視庁暴力団担当刑事」(小学館新書)を上梓。著書の中でボリュームを割いて振り返っているのが、矢野抜きには語れない「稲川会vs.住吉会の抗争事件」である。

 一連の事件は、01年8月、東京都葛飾区の四ツ木斎場で起きた発砲事件から始まった。住吉会住吉一家向後睦会の幹部の通夜に潜り込んでいた稲川会系組員の二人が、参列していた向後睦会会長の熊川邦男、住吉会滝野川一家総長の遠藤甲司らに向かって拳銃で発砲したのだ。熊川と遠藤は死亡。住吉会によって確保された実行犯二人は、その日のうちに警察の説得により引き渡され、逮捕された。

「すぐさま両組織のトップ会談が開かれ、稲川会側は実行犯が所属していた大前田一家総長の小田建夫の絶縁、大前田一家の取り潰しを提示して、手打ちになりました。ただ、警察が実行犯二人のみを起訴して、その上まで捜査が伸びなかったため、住吉会側に大きな不満が残る結果となってしまったのです。しかも、絶縁処分を受けた大前田一家も、地元で活動を続けていた」

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