元公安警察官は見た 日本を震撼させた韓国工作員による「新潟日赤センター爆破未遂事件」

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 日本の公安警察は、アメリカのCIAやFBIのように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を十数年歩き、数年前に退職。昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、韓国の工作員による新潟日赤センター爆破未遂事件について聞いた。

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 テロを未然に防ぐことができた例として、公安警察官の研修でよく使われる事件がある。

「1959年12月に起きた韓国工作員による『新潟日赤センター爆破未遂事件』です」

 と解説するのは、勝丸氏。

 事件の背景には、1956年、北朝鮮の金日成国家主席が在日朝鮮人の帰国を呼びかけ、朝鮮総連が帰国促進運動を繰り広げたことが大きく関係している。

 1959年2月、政府は在日朝鮮人の帰還事業を承認。これを受けて、同年8月、インドネシアのカルカッタにおいて日朝赤十字社間で帰還協定が締結された。

12本のダイナマイト

「帰還事業に反発した韓国の李承晩大統領は日本赤十字社の破壊、新潟港に通じる鉄道線路を破壊、帰還事業を担当する日本の要員の暗殺などを行うため、日本に大量の工作員を送り込んだのです」

 韓国は1959年9月から、ソウルの訓練所で工作員を「破壊班」「説得班」「要人拉致班」に分けて訓練していた。

「警察庁はこの情報をキャッチしました。そして警察庁の指示で警視庁外事課の捜査員が全国に派遣されました。ただ、各県警や大阪府警は、それが面白くなかったようですね。警察庁の命令が出ているとはいえ、自分たちのシマに警視庁の人間が来て捜査するわけですから、『なんだあいつら』となるわけです。工作員の情報を警視庁外事課に知らせない県警もあったそうです」

 外事課の捜査員が最初に工作員の身柄を確保したのは、1959年12月4日だった。

「新潟で秘匿捜査をしていたところ、ターゲットにしていた2人の工作員が新発田市のバーに入って行くのを確認しました。店で密談中の2人に任意同行を求め、新発田警察署で取り調べを行うと、工作員が所持していた鞄の中からダイナマイト12本を発見、爆発物取締罰則違反で現行犯逮捕しました。さらに、新潟駅に隠していたガソリン1リットル缶4本も発見しました。これらを使って新潟日赤センターを爆破しようとしたのです」

 この爆破未遂事件は、当時の日本社会に衝撃を与えた。駐日韓国代表部の金永煥三等書記官らが爆破計画の指揮をとっていたことが判明し、日本の世論は韓国政府を激しく非難した。

 その後も、工作員は次々に日本へ入国した。

 12月7日には、釜山港から神戸港に上陸しようとした工作船が、海上保安庁に臨検されて強制停泊させられた後、韓国に引き返している。

「さらに12月12日、韓国の巨済島を出港した工作船が下関近海で暴風に遭い沈没、12人の工作員が死亡しています」

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