豊臣秀頼は、秀吉の子だったのか? 囁かれた淀殿の本当のお相手の名前

国内 社会

  • ブックマーク

 下賤の身から成り上がった天下人・豊臣秀吉。そんな彼の後継者で、淀殿が生んだ豊臣秀頼は、本当に秀吉の子だったのか? 当時の人々はどうとらえていたのか、大阪城天守閣館長の北川央氏が詳細に検証する。(本稿は新潮新書『大坂城―秀吉から現代まで 50の秘話―』より再構成されたものです)。

 平成28(2016)年、滋賀県長浜市の「長浜曳山まつり」が、「山・鉾・屋台行事」の一つとして、ユネスコの無形文化遺産に登録された。

 この曳山まつりは、豊臣秀吉が長浜城主だった時期に、男子の誕生を喜んで町衆に砂金を振る舞い、それを元手に12基の曳山を建造したのが起源であると伝承される。...

記事全文を読む

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。