年俸80万円のテスト生から最多勝投手へ 思わぬ掘り出し物だった「助っ人列伝」
突然「今後は先発しない」
年俸480万円で入団したのに、エースとなり、オールスターにも出場したのが、広島のロビンソン・チェコだ。ドミニカ・カープアカデミー出身のチェコは、95年に第1号選手として広島と正式契約。背番号が現行ルールでは支配下選手に認められていない三桁の106番だったことも話題になった。
オープン戦のダイエー戦で5回1失点の好投が三村敏之監督に認められ、開幕直後の4月12日の阪神戦で4安打完封デビュー。5月12日の横浜戦まで4勝のいずれも完投勝利だった。
161球完投の翌日、疲労を心配した三村監督が「肩はどう?」と身振り手振りで尋ねると、チェコは「全然。何ともありません」と中3日で登板できることをアピールし、「早く投げたい」と催促するほど。その姿は日本での成功を夢見る純朴な青年そのものだった。シーズン前半を10勝5敗で折り返したチェコは、オールスター第2戦で全セの先発を務め、後半戦も順調に2連勝した。
ところが、8月22日のヤクルト戦を前に、突然「新たなボーナス契約を結んでくれなければ、今後は先発しない」と登板拒否。球団側が「投げないのなら2軍へ行け」と突っぱねると、しぶしぶ先発したが、あとから思えば、5月ごろから接近していた代理人とこの時期に契約し、金銭面の条件アップ等を入れ知恵されたようだ。
同年、15勝8敗の成績を残したチェコは、シーズン後にメジャー移籍を希望し、代理人を通じて広島との契約解除を一方的に通告。ゴタゴタの末、翌96年も広島と契約したものの、故障を理由に早期離脱し、そのまま退団。同年、最大11.5ゲーム差を巨人にひっくり返される一因となった。
格安年俸で活躍した助っ人も、ボタンを掛け違えると、チームの成績にかかわるトラブルに発展……。契約の難しさを痛感させられる。
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