「44歳夫」が今も思い出すキャリア妻の不倫を察した瞬間 そしてタクシーの中で2人がしていたコト

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負い目があったわけではないが…

 玄関も別、独立した一戸建てのようになっていて、真ん中に共通のリビングがある建て方だったので、これならプライバシーも守れると雄浩さんは思っていた。ところが生活するようになると建前通りにはいかない。

「妻は産休だけで、育休はほとんどとらず仕事に復帰。その際、義母との間で、いろいろ取り決めがあったようですね。平日の夕食は実家頼みだった。でも妻が安心して仕事に打ち込める環境ができたわけだし、それでもいいか、と。僕は逆になるべく早く帰って、子どもの面倒をみていました。僕らの家のほうで娘をあやしていると、義母が勝手に入ってくるのには閉口しましたけど、育児は楽しかった。僕のほうが育休をとりたいくらいでした」

 その4年後、次女にも恵まれた。このときは「妻も納得の妊娠」だった。だが育休をほとんどとらないのは前回と同じ。

「職場には妻のことを知っている社員も多かったので、『育休とらないんだって?』とよく言われましたね。特に女性たちからは『そういう人がいると後に続く者が困るのよね』と僕が責められたりもしました。そんなことを言われても、妻には妻の意志があるようだと言うしかなくて。ただ、なんとなく探りを入れると、妻はそれなりにいい仕事をしているようなんです。仕事が楽しくてはまっているなんて、羨ましい話だし、やはり僕は妻にもっと家にいろとは言えなかった」

 彼に何か負い目があったわけではないが、二世帯住宅にかかった費用のほとんどは妻の実家が出してくれたことに、やはりいくらかの忸怩たる思いはあったようだ。

「妻の両親は、あなたたちの収入は子どもたちのために使いなさい、と。それなら家賃を払うと僕は言ったんですが、『そうしたら私たちは学費を援助する。だから同じことなの』と言われまして。義父はおとなしい人でね、ほとんど発言しない。義母は自分の価値観をさりげなく押しつけてくることはありましたね。僕は適当にかわしていましたが。妻が仕事に前向きになったことを義母は誰よりも喜んでいたようです。自分が結婚によって家庭に入らざるを得なかったから、ひとり娘には思い切り社会活動をしてほしかったみたい。妻もその期待に応えたかったのかもしれません」

留守がちになった妻

 長女が学校に上がった4年前から、妻は出張を断らなくなっていった。

「事前に相談があったんです。これからは1泊程度なら出張してもいいかな、と。妻も40代になって責任ある立場になっていたらしいので、『体に気をつけてがんばって』としか言えなかった。妻のやりたいことを阻止する気持ちはありませんでした。義両親がいたからでしょうね。長女はすでに働くママをわかっていたから、1日くらいいなくても大丈夫、でも早く帰ってきてねとけなげなことを言っていました。妻も出張前には娘たちをぎゅうっと抱きしめて『ごめんね。愛してる』と愛情表現はしていましたから、そんなに心配していなかったんです」

 家族としてはこれでいいと、雄浩さんは思っていた。彼自身、誰よりも先頭を突っ走りたいというタイプではない。社内的な立場にも執着はなかった。いつも「中の中」でいいと思って会社員生活を送ってきた。彼の時間も心も、家庭に対して比重がかかっていた。夫婦のバランスはとれていたともいえる。

 ある日、出張から帰ってきた妻がぐったりと疲れ切っているのがわかった。雄浩さんはおいしいスープを作って妻に飲ませた。

「ありがとう。あなたは優しいねと妻が微笑んだんです。その顔が妙にきれいで、ドキッとしました。妻はそのまま寝室へ。僕たち、下の子が生まれてからすでに寝室は別にしていたので、追うわけにもいかず、疲れた足取りの背中を見送りました」

 何かおかしいと最初に感じた日だったと彼は言う。妻の動向が妙に気になる。だが、深追いしないほうがいいと頭の中で黄色い信号が点滅する。妻は仕事で疲れているだけだ、疲れた顔に自分が欲望を抱いてしまっただけなんだと自分に言い聞かせた。

「その2週間後くらい、今度は金曜日に妻が帰ってこなかったんです。結局、午前3時頃に帰宅して、『接待だったんだけど、途中で取引先の人が体調を崩して救急車に付き添っていって大変な目にあった』と。でも、出張帰りのときと同じように、疲れているはずなのに目だけが妙に輝いていて、凄みを感じるほどきれいだった。大変だったね、早く寝たほうがいいよと言うと、妻は僕の手を握ってじっとしているんです。あなたの手は温かいねと妻は言いました。誰の手は冷たいんだよ、と言いそうになる自分がいた。あのとき僕は、明代が誰かに抱かれていると本能的に察していたんだと思います」

 それでも彼は探ろうとはしなかった。真実など知らなくていい。知りたくない。妻は“出張”以外、ほとんどちゃんと帰ってくる。子どもたちも母親が大好きだ。義両親は僕ら4人のために時間も手間も惜しまず協力してくれている。

「何も壊したくない。今のままでいい、いや、今のままでなければならない。そう思いました」

 妻が勤める会社はグループ企業とはいえ、移転したり規模を拡大したりしたこともあって、雄浩さんが知っている人はもうほとんどいなかった。それもあって探りを入れたい気持ちをなんとか抑えることができたと彼は言う。

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