長女の帰宅直後に一家4人が惨殺 巖さんは「寮で寝てたら専務の家が火事になった」【袴田事件と世界一の姉】

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たまたま不在だった同室者

 放火殺人事件が起きた夜、巖さんは「こがね味噌」の従業員寮で寝ていた。プロボクサーだった巖さんは、フェザー級で日本6位の成績を残したが、体を壊して引退。バーテンダーなどをした後、バー「暖流」の経営に乗り出したがうまくゆかず、店を畳んでから「こがね味噌」に住み込みで勤めていた。無口で働き者の巖さんを藤雄さんは可愛がった。巖さんは早くに結婚し、一男をもうけたが、妻は男を作って去り、2歳の息子は巖さんの両親のもとで育てられていた。

 従業員寮は相部屋だったが、事件の夜、巖さんと同室の佐藤文雄さんは部屋に居なかった。この頃、藤雄さんの父で社長の橋本藤作さんはリウマチで入院し、同居していた孫の昌子さんは旅行に出ていた。不用心を心配した藤作さんの妻のために、佐藤さんが離れの社長宅に一緒に泊っていたからだ。運の悪いことにこれが後に、巖さんのアリバイ証明を困難にしたのだ。

 火災発生時、寮に住む従業員の佐藤省吾さんは、消防のサイレンで目が覚め、相部屋の同僚を起こして寮の階段を下りた。巖さんの部屋のガラス戸は開いていたが、中は見ずに外へ出たという。2人は工場敷地にある消火ポンプのホースをつなぎ、近くに住む村松喜作さんとともに放水した。

 村松さんは「無事だった土蔵に家の人が逃げているかもしれない」と思い、土蔵近くの物干し台に上った。「バールを持ってこい」と叫ぶと、佐藤さんと巖さんがやってきた。放水で2人ともずぶ濡れで、巖さんは白っぽいパジャマ姿だったと村松さんは記憶していた。遅れて駆け付けた「こがね味噌」の従業員の山口元之さんも、パジャマ姿でびしょ濡れの巖さんが工場に向かって歩いてくるのに出会ったという。

 だが、これらの「アリバイ証言」は警察によって潰されていたことが後に判明する。

職場で知った惨劇

 巖さんの姉のひで子さんは、中学卒業後から13年勤めた税務署を退職し、税理士事務所での勤務を経て、事件当時は浜松市常盤町の「富士コーヒー」という会社に勤めていた。昼休みにテレビのニュースで清水市の異変を知る。

「あれっ、清水のこがね味噌って、巖が勤めてる会社じゃないの。えっ、巖が『よくしてもらっている』って言ってた専務さんが殺されたなんて。巖は今、どうしてるんだろう」

 驚いたが、今のように携帯電話などなく、「こがね味噌」の固定電話は工場にはあるが寮の部屋にはなかった。それでもなんとか連絡すると、巖さんは「寮で寝てたら専務の家が火事になった。強盗だか何だかわからん」などと興奮気味に話した。

 事件のあった週末も巖さんは、実家に預けている幼い息子に会うため、浜北市(現・浜松市浜北区)を訪れ、ひで子さんも実家に戻った。父の庄一さんは50代で「中風(ちゅうぶ)」(脳卒中の後遺症)を発症し、寝たきりで口もきけない状態だった。

 もちろん家族は巖さんが犯人だと思うはずもないが、怨恨としか思えない橋本一家の惨殺ぶりに、ひで子さんや母のともさんは、「巖が変なことに巻き込まれていなければいいけど」と心配していた。しかし、巖さんが近所の人に、「寝てたら専務の家が火事になった。みんなで必死に消したけど、どうしようもなかった」などと話す普段と変わらない様子に、ひで子さんやともさんは安心した。

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