「仕方なくクロカンをやっていた」 レジェンド「葛西紀明」が語る原点と次世代のスターとは?(小林信也)
レジェンド・葛西紀明は1972年、北海道上川郡下川町で生まれた。
「最初は、夏はマラソン、冬はクロスカントリー・スキーをやっていました。足は速かったんです」
49歳のいまも現役。所属する土屋ホームのスキー部では監督も兼任する葛西が、フィンランド合宿から帰国後の隔離期間中、リモート取材に応えてくれた。
「初めて飛んだのは9歳、小学校3年生の冬です」
葛西少年はいつものように下川町スキー場で斜面を滑って遊んでいた。リフトの右側にある一般斜面。ふと見ると、左側に4本のジャンプ台が並んでいた。
(あそこ、飛んでみたい)
「友だちと、興味本位で一番小さい5メートル級のジャンプ台で飛んだ。初めてのジャンプ、よく覚えています。ちょっと怖かった。ちゃんと立てるか不安で、やっぱりバランスを崩して転びました。よし、次は立つぞ! 最初はどっちが先に立てるか競争、そしてどっちが遠くに飛ぶかの勝負。だんだんジャンプにはまりました」
ジャンプ場は立ち入り禁止。見つかると麓の管理人からマイクで怒鳴られた。
「入っちゃダメ!」
それでも管理人の目を盗んで飛んだ。やがて大人の選手たちが飛ぶ光景を見る機会があった。その中に小学生が交じっていた。
「岡部さんでした。小学校2年からやっていたから、5年でもう大人と同じように飛んでいた。へー、ああいうふうに飛ぶのかって」
深い前傾姿勢など、かかとの浮かない普通のスキーで飛ぶ葛西には想像もできなかった。後に94年リレハンメル五輪で一緒に団体銀メダルを獲る岡部孝信のジャンプが眩しかった。
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