悠仁さまが「即位拒否」の懸念も 「小室問題」であらわになった「教育係の不在」と「晒される皇室」
公と私のバランス
その上で、悠仁さまへの帝王学ご教授こそが喫緊の課題だと重ねるのだ。
「悠仁さまには、一刻も早くお世継ぎとしてのお立場を学んで頂くしかありません。“まだ15歳なのだから”と思う人もいるでしょうが、大正天皇のお妃選びは15歳の時にはすでに始まっていました。自主性も結構ですが、それとともにご自覚も身に付けて頂かないと、このままでは国民が皇室についてこない事態を引き起こしてしまいます」
ひとり皇嗣家にとどまらず、手を拱(こまぬ)いていれば皇室全体へと波及しかねない問題なのである。
「戦前の臣民教育から一変し、戦後は学校現場でも道徳教育に慎重な姿勢がとられたこともあり、国民が皇室について知る機会は大きく減りました」
とは、慶應義塾大学の笠原英彦教授(日本政治史)である。
「一般人との違いについて考える場もなく、イメージだけが先行している印象です。そうした中で皇室の“公と私”のバランスは非常に難しい問題ですが、それでも“できれば皇族には公を優先してほしい”と国民は願っている。ところが一昨年の眞子さんの『お気持ち』などでは“私たちにとって”といったフレーズが目立ちました。然るべき相談相手がいれば、こうした言い回しは避けられたはずで、それ以前に“皇族が配偶者を選ぶということがどのような意味を持つのか”を教えて差し上げることもできたのではないでしょうか」
教育係の存在
一方、慶應義塾福澤研究センターの都倉武之准教授は、
「現在の皇室は“開かれた”というより、むしろ“晒されている”ように感じられます」
そう前置きしつつ、
「スマホやSNSが急速に発達した時代にあって、国民のさまざまな声は避けられず、むしろ息長くそれと向き合っていく覚悟が必要です。ところが現在、皇室は不自然な形で閉ざされ、隙間からメディアや国民が懸命に中を覗き込んで、かえって皇室をいびつに描写する構図になっています」
かような状況にあって、
「宮内庁は普段、公式の声しか出さないのに、ひとたび問題が生じると皇族ご本人の“こうしたい”というご意思を最大限尊重する対応をしているように感じます。一見“忠実”に尽くしているようですが、その状況下でご意思通りに進めることがご自身や皇室の将来によい結果をもたらすのか、といった観点が欠けています」
かつて上皇さまが皇太子時代には、教育係として経済学者の小泉信三が大きな役割を果たしていたのだが、
「小泉は66年に78歳で亡くなりましたが、それ以降、皇室には腹を割って何でも相談できるようなアドバイザーかつ広報を担う存在が見当たりません。つまり、皇族とも国民ともコミュニケーションを取りながら公式の言葉の真意を上手に伝える橋渡し役がいないのです。皇室と国民との間の“グレーゾーン”対応は、官僚機構にはなじみません。やはり民間人にしか務まらないのではないでしょうか」
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