悠仁さまが「即位拒否」の懸念も 「小室問題」であらわになった「教育係の不在」と「晒される皇室」
「あなた方が姉を追い詰めた」とばかりに……
それはまさしく、結婚会見で国民を敵と味方に二分するかのような物言いをした眞子さんへの“援護射撃”であり、ご自身の偽らざる感情の発露でもあった。
「佳子さまはこれまでもメディアへの敵愾(てきがい)心をあらわにしてこられました。ICUご卒業時の文書回答では、将来のお相手に関する質問を『今後も含めお答えするつもりはございません』と、身も蓋もないお言葉で撥ねつけられている。眞子さんの結婚当日も、姉の体調を気遣って会見場に向かうため赤坂御用地の巽門からお出になりましたが、公務での表情とは打って変わり、居並ぶ報道陣には一切、視線を向けられることはなかった。まるで“あなた方が姉を追い詰めたのです”とでも言いたげに、車中では憮然となさっていました」
最後の一人となっても“いわれのない物語”を流布させた世間から姉を守り続ける──。そんなご心中は結婚当日、宮邸の玄関で抱き合って別れを惜しまれたお姿からも如実にうかがえよう。が、沸き起こる批判をよそに“私”を優先し、異例ずくめの結婚を強行した眞子さんをお育てになったのは、秋篠宮ご夫妻に他ならない。
先のジャーナリストが続けて、
「お子様方の自主性を重んじてこられた秋篠宮さまは一方で、平成の時代からしばしば兄君のなさりように異を唱えてこられました」
秋篠宮さまは04年、皇太子さま(当時)のいわゆる「人格否定発言」を“残念に思う”とご批判。また18年には、陛下にとって一世一代の行事である大嘗祭のあり方にも疑念を呈されてきた。
「そのようなご家庭にあっては、皇室が大切にしてきた“公”の意識とともに“両陛下をお支えするのが皇族の務めである”との自覚も育まれにくいことでしょう。眞子さんのみならず、皇室での生活を息苦しく感じておられる佳子さまもまた、先々においてご自身の希望を押し通される可能性は大いにあります」(同)
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