“良妻賢母”を求めて結婚も「46歳男性」の見込み違い 不倫して分かった本当の自分

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次男の登校拒否で反省

 マナミさんは本気で怒ったのだろう。彼を睨みつけると、それきり口をきかなくなった。自分がいない時間、子どもたちが妻から理不尽に怒られていないか気になったが、帰宅すると子どもたちはすでに寝ていることが多い。妻は何もしゃべらない。

「それでも週末は僕が一生懸命、家庭を盛り上げようとしました。子どもたちと公園に行ったり一緒に夕飯を作ったり。上の子は6歳くらいからやけに料理に興味をもつようになったので楽しかったですね。だけどやはりチックは治らなかったし、下の子の怯えたような子どもらしくない表情も気になりました」

 尚文さんの心配は、その後、現実となってしまう。上の子はなんとか学校にもなじめたのだが、下の子は小学校2年生のときから登校しなくなった。

「妻は大変でしたよ。自分が仕事を辞めてまで必死になって育ててきたのに、どうしてこんなことになったのかと。『あなたが家族と関わらなかったからよ』とひどく責められました。自分ではなんとかできることをがんばったつもりだったし、きみがすべてをひとりで背負いこもうとするからだと言い合いにもなりました。でも、僕は学校に行きたくなければ行かなくてもいいとも思ったんです。妻はなんとか行かせようとしたけど、無理させるな、と。ただ、家にこもって妻とふたりきりになるとかえってよくないとも思った。行政をはじめ、あちこち相談しましたが、そのうち、いや、その前に次男とじっくり話すのが先だろうと考え、夏休みを使ってふたりで旅行をしたんです。僕も思いきって10日間休みました」

 海のそばの民宿でのんびり過ごした。次男は1日中、海で遊んでいる。3日目には民宿の手伝いを始めた。

「この子は何かをしたいんだ、でも今は勉強じゃない。生きるエネルギーを母親に削られていたのではないか。僕自身も次男を見ながらいろいろなことを考えました。子どもであっても、やりたいことや優先したいことはある。妻はたぶん、そういう自主性を奪い取っていたんでしょうね。民宿で過ごした10日間は彼にとって貴重な時間だったと思う。ぽつぽつといろいろなことを話してもくれました」

 学校の勉強がつまらないこと、友だちにいじめられたこと、母親が怖いこと。マナミさんは幼稚園のころから文字や算数を教え込んでいた。だから学校に行っても、知っていることばかりでおもしろくなかったのだという。子どもだからつい態度に出る。周りの子をバカにしてしまう。それでクラスから浮いてしまったのだ。

「長男はその点、もうちょっと鈍いんですよ。鈍感力があるというか。母親から逃れて学校になじむほうが自分の居場所を作れると本能的に思ったのかもしれない。小学校高学年になるとチックもおさまった。その代わりけっこう早い反抗期があったようですが。僕が『結婚するなら良妻賢母を目指している女性がいい』なんていうステレオタイプの男だったから、子どもたちには迷惑をかけてしまったんだと心から反省しました」

子供の問題がひと段落しても…

 次男は3年ほど、フリースクールや小学生のための「居場所」などへ行っていたが、5年生になるとき、突然、学校に行きたいと言い出した。だが今の学校では嫌だという。学区外の公立校もむずかしそうだったため、尚文さんは私立で編入を受け入れているところを探し、次男とふたりで何度か面談に行った。

「そこの校長先生と息子が意気投合したんです(笑)。将来、楽しみなお子さんだと言われて僕もうれしかった。彼は“普通の学校”の枠からはみ出したけど、それがいけないわけじゃない。息子はその学校に元気に通い始めました。最初は大変なこともあったみたいだけど、先生たちがフォローしてくれ、去年春にはエスカレーターでその中学に上がりました」

 次男は一件落着したが、夫婦間の溝は埋まらなかった。息子が不登校になったあの日から、少しずつ溝を広く深くしていったような気がすると彼は言った。

「子どもたちのことを気にすると妻と溝が深まるのは、本来おかしいですよね。僕らふたりが一緒になって子どもたちを守らなければいけないのに。だけど妻とはそういうことができなかった」

 今は子どもの学校のことなどで事務的な会話はある。だが、子どもたちが食卓にいないと夫婦はほぼ黙ったままだ。パート仕事をしている妻に、「最近、どう? うまくいっている?」と気を遣って声をかけても、妻は「まあね」と言うだけだ。週末、子どもたちはそれぞれに出かけることが多い。彼はスポーツジムに出かけると言って家を空ける。

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