“良妻賢母”を求めて結婚も「46歳男性」の見込み違い 不倫して分かった本当の自分

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 年上好き、年下好き、男女を問わず年齢にこだわる人たちは一定数いる。結婚後にそういう自分の好みがわかり、なおかつ相性のいい相手に出会ったら恋に落ちてしまっても不思議はない。【亀山早苗/フリーライター】

「僕はガチガチのステレオタイプの男だったんです、たぶん」

 坂本尚文さん(46歳・仮名=以下同)は苦笑しながらそう言った。結婚したのは29歳のとき。しかも「そろそろ結婚したほうが世間体がいいから」という理由だったという。結婚なんてそんなものと思っていたようだから驚かされる。

「親や親戚、友人たちに頼んで、2~3歳年下の良妻賢母を目指している女性、健康で明るくて贅沢しない女性という条件で探してもらいました。結婚するなら、こういう女性がいいだろうと思っていたんですよね。そのために子どもたちには申し訳ないことをしました」

 そして親戚から持ち込まれた縁談が、まさにそういう女性だった。27歳、料理が得意で世話好きな保育士のマナミさん。まじめできちんとしていると親戚が強く勧めた。

「飛びつくようにして会いました。本当にまじめで感じのいい女性でした。置かれた状況で完璧を目指すのが私の生き方ですと言われて、ちょっとまじめすぎないかと思いましたが、まじめに勝るものはないとも考えて」

 そう言うと彼は携帯を出して、妻の昔の写真を見せてくれた。きれいな人だが、ちょっと険しい表情でもある。そう印象を伝えると、

「そうですよね。そこに気づかなかった」

 彼は少しせつなそうな表情になった。

子供が産まれて分かった“素顔”

 3回目のデートでプロポーズ、その場でOKをもらい、3ヶ月後には結婚した。30歳で長男、32歳で次男に恵まれた。妻は次男を出産後、仕事を辞めた。

「保育士なのに自分の子の面倒を見られないというジレンマがあったみたいです。妻は生真面目なんですよ。子育ても完璧にやらなければ気がすまない。共働きのときも、僕は『いいよ、埃じゃ死なない』というタイプですが、妻はいつでも家の中をきれいにしていましたね。だから生活は少し苦しくなるけど、専業主婦になるのもいいんじゃないかなと思っていました」

 ところがこういう女性は、時間ができればさらに家の中を完璧にしないと気がすまなくなるのかもしれない。育児も「完璧」を志すから、子どもたちに弊害が出るようになっていったという。

「上の子はチックがひどかったですね。何かしようとしたり言おうとしたりすると、マナミが急かすし、やたらと間違いを指摘するから顔がピクピクするようになって。下の子も母親の顔色をうかがう子になってしまった。しつけは大事だけど、あまり厳しくしないほうがいいと妻には言ったけど、『子どものため』と頑として言い張る。こんなに頑固で偏狭な女性だったのかとがっかりしました。毎日、子どもを人質にして会社に行っている気分だった」

 あるとき、妻がくどくどと長男に文句を言っているので、「いいかげんにしなさい」と一喝した。もっと家の中の雰囲気を明るくしてほしい、子どもたちが笑っている家庭にしてほしいと妻に静かに言った。

「すると妻が激昂したんですよ。『あなたは毎日、家を留守にしているから私の苦労がわからないのよ』と。それなら子どもたちを保育園に入れてパートでもいいから働けばいい。ずっとべったり一緒にいるのがいい母親というわけでもないだろうと言うと、『子どもは自分の手で育てなければいけないの』と。その価値観はどこから来ているのか、と思いました。妻はそういう価値観に縛られて生きている。しっかりした人だけど、それじゃ周りが疲れてしまうよと言うしかなかった。オレにできることがあるなら、何でもするからすべて自分で背負うなと」

 背負わなければ自分の存在価値がないと妻は思っているのだろう。こういう女性は少なからずいるものなのだ。誰に頼まれたわけでもないのに、ひとりで必死になってすべて抱え込む。それで処理しきれずにパニックになる。責任感が強くてまじめだから、自分が決めた偏ったルールや価値観を打ち破ることができない。

「もっといいかげんでもいいんだよと何度も言いましたけど、彼女にはその“いいかげん”が何を意味するのかわからないんでしょうね。妻の母も厳しい人で、妻は恋愛ひとつしたことがなかったそうです。すべて先回りして干渉された、と。そういう母親にはなりたくないと言っていたのに、僕から見ると義母に輪をかけて厳しくなっていた」

 子どもたちへの愛情はあるのだ。だが目の前の子を愛するのではなく、将来を考えてひたすら枠にはめようとする。子どもたちは猿回しのサルじゃない、自主性を大事にしてやってと言っても通用しなかった。

「思わず、オレは何のために毎日仕事に行っているんだろう。こんな家庭を作るためだったんだろうかと独り言のように言ってしまったんです。それが妻の怒りに火をつけた。今思えば、彼女は本当にがんばってストレスまみれになっていたんだとわかるけど、当時は僕も若かったし、仕事も忙しくてやはりストレスを感じていたから、自分が生きる意味がわからなくなっていったんです」

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