フリーアナ・町亞聖が語る「ヤングケアラー」問題の本質 高校時代に母親を介護した経験が
「ヤングケアラー」とは、家族の介護などを担っている18歳未満の子供のことである。まだそんな言葉など存在しない30年以上前、同様の境遇に置かれていたのがフリーアナウンサーの町亞聖(まちあせい)さんだ。経験者だからこそ語れる、「ヤングケアラー」問題の本質とは。
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ヤングケアラーという言葉に注目が集まったことは本当に良かったと思っています。ただ、「18歳未満」と線引きするのはどうなのでしょうか。20代であれ30代であれ、自分の時間を犠牲にして介護をしている人は皆ヤングケアラーなのではないでしょうか。
私の母がくも膜下出血で倒れたのは高校3年の3学期の始業式の日でした。それ以降、10年近く母の介護をしましたが、ヤングケアラーの問題で一番大きいのは、自分がヤングケアラーだと気づいていないことです。長女だった私も「自分がやるのが当たり前」と思っていました。大事なのは、ヤングケアラーに気づいた周囲の大人がきちんと声をかけてあげることです。SOSを出せずにいるヤングケアラーは大きな選択をする時に選択肢が限定されてしまいます。例えば、“家を支えなきゃ”と思い詰めて進学を諦め、働く、といったケースです。
私の場合、父親から「今日からお前が母親だ」と言われ、お金の管理や家事、当時15歳だった弟と12歳だった妹の面倒も見なければならなくなりました。ただ、嫌いだったその父親が大学への進学を後押ししてくれたことには感謝しています。後押しがなければ大学進学は諦めていたと思います。だから今、ヤングケアラーの人たちに言いたいのは“諦めちゃだめだ”ということです。
「誰にも相談できない」
母が倒れてからの1年余りは、母の看病と家族の世話、そして大学受験のための勉強が私の全てでした。同世代には介護の悩みは理解してもらえないことが分かっていましたので、あえて友達には会わないようにしていたり、本当に暗いトンネルの中にいるような感じでした。
「誰にも相談できない」という状況に多くのヤングケアラーはいると思います。そんな中で諦めちゃいけないな、と思ったんです。私が諦めたら弟も妹も諦めることになるんですよね、人生を。
そうして死に物狂いで勉強した結果、大学に合格した私は奨学金をもらって通学することになりました。当時、私は母のことで精一杯だったので、奨学金のことは高校の先生が教えてくれたと記憶しています。私の周囲には手を差し伸べてくれる大人がいたということになります。
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