名将・小嶺忠敏さんの功績 指導者としての原点は「焼山に行ってこい」

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「巨星墜つ」とは、まさにこのことを言うのだろう。

 長崎県立国見高校を率いて全国高校サッカー選手権では戦後最多タイ記録となる6度の優勝を達成し、数多くの名選手を輩出した小嶺忠敏氏(長崎総合科学大附属高監督)が1月7日に肝不全のため長崎市内の病院で死去した。76歳だった。

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 小嶺氏が指導者の道に入ったのは、大阪商業大学を卒業した1968年のこと。母校の長崎県立島原商業高校に商業科の教諭として赴任し、サッカー部を指導した。...

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