近現代で最も成功した宗教は「国民国家」 次なる宗教は「健康教」か?(古市憲寿)

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「宗教みたい」という形容詞がある。現代でいえば、オンラインサロンがその代表格だろう。同じ価値観を信じる人が集まり、教祖(起業家やタレント)、教団(サロン)のために、平気でただ働きやお布施をする。

 しかし、古くから存在する宗教と違って、殉教者の話は聞いたことがない。西野亮廣さんも中田敦彦さんも大人気だが、メンバーがサロンのために命を投げ出し、モニュメントが作られた、なんて事例はないはずだ。幸いなことである。

 その意味で、近現代において最も成功した宗教の代替物は国民国家だろう。ベネディクト・アンダーソンの言葉を借りれば、20世紀の「大戦の異常さは、人々が類例のない規模で殺し合ったということよりも、途方もない数の人々がみずからの命を投げだそうとしたということにある」(『定本 想像の共同体』)。

 19世紀、20世紀の世界では、世界中の国民が、国家のために命を捧げ、途方もない数の犠牲者を出した。その記録が、各国の一等地に建てられている無名戦士の碑や墓である。

 国民国家は、人々に生きる意味を与えてくれた。国を愛し、国のために尽くし、戦争が起きたときには命を投げ出すことが理想とされた。教育や出版という仕組みを活用しながら、国民国家は世界を席巻した。

 宗教は古来、悩める人々に意味を与えてくれた。人間は生きていると、さまざまな不幸に遭遇する。最愛の人が事故に遭ったり、命を落とした時に、残された者はどうやって受け入れればいいのか。ドラマ「地獄が呼んでいる」で描かれたように、ほとんどの不幸には意味や理由がない。しかし人々は、その意味のなさに耐えられない。ネガティブであっても、起こってしまった不幸に意味を探そうとする。そこで宗教が役立った。

 さて、20世紀と違って、国家のために命を捧げるという人々は減っている。コロナの影響で世界の往来が制限されたからといって、誰もが熱烈な愛国心に目覚めたわけではない。

 21世紀の人々は、何の殉教者になるのだろう。戦後日本では、国家の代わりに「会社教」が大流行し、「過労死」という悲惨な殉教まで発生していたが、その信者は減りつつある。

 自己責任原則が徹底した「自分教」の世界になれば、安楽死が一般的になるのかもしれない。もしくは「健康教」が繁栄するのだろうか。事実、最近では医療がどんどん人間の不幸を説明するようになっている。「その人はメタボリックシンドロームが原因で体調を崩し、死にました」「随分前からがんを発症していたのに健康診断に来ていませんでしたね」といった具合だ。

 日本ではコロナの流行に際して、感染者を減らすことに血眼になるあまり、経済的な困窮への援助や、精神的なケアは後回しにされ、とにかくステイホームが呼びかけられた。結果、自殺という選択をした人も多い。現代人は、国家のためでも、会社のためでもなく、健康のために命を落とすのだ。「健康教」の時代は続く。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2022年1月13日号掲載

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