「新婚さんいらっしゃい!」勇退の桂文枝を支えた「最後の女性」の告白(前編)
こんな乙女がいるとは思わなかった
申し出に一度は断りを入れたものの、メールや電話でのやりとりは続いた。
「私は料理を作るのが好きなので、文枝さんにメールで写真を送ってあげていたのです。すると、“今度食べに行くわ”と連絡があって、お弟子さんを連れて本当に家にやって来たんです。料理を振る舞ったら“美味しい美味しい”と食べてくれて。それから、文枝さんは1人でも訪ねて来るようになったのです」
当時、文枝師匠はすでに60代なかば。一人暮らしの女性の家に上がり込む術も、老練の域に達していたと言えようか。
「文枝さんがやって来るとマッサージしてあげて、添い寝をして口づけをするんです。この頃から彼は“将来は一緒に住んで、俺の介護をしてほしい”と言うようになっていました。“最期ぐらいは恵美子がいいんだ”とも話してくれて、私も夢見心地になっていました」
2人が男女の仲になったのは09年の3月のこと。
「実を言えば、母親が厳しかったこともあって、それまで私は男性経験がありませんでした。文枝さんが初めての男性だったのです。でも、文枝さんは“こんな乙女がいるとは思わなかった”と言って喜んでくれたんです」
以後、文枝師匠は、恵美子さんの家を訪れることになる。
「文枝さんが家に来るのは2カ月に1回ぐらい。いつも食事をして寝室で過ごすというパターンでした。当時の私は文枝さんに夢中で“月に1度は来てほしい!”とお願いをしていたのですが、文枝さんは“束縛されたくないんや”と言うのです。家に来られない日は繁昌亭の会長室で会ったり、外でデートしたり。彼は私が寂しがらないように電話を一日3回、メールも写真付きで送ってくれました」
エスカレートする要求
どういうつもりか、文枝師匠は平気で弟子も連れてやって来ることもあったという。
「お弟子さんは入れ替わりで2人ぐらい連れて来たでしょうか。車を運転させて“ご飯食べさせてや”とやって来る。食事をしてから、2階の寝室で文枝さんと過ごすのです。その間、お弟子さんが階下で落語の稽古をしていたこともありました。でも、私と文枝さんが抱き合っていたのを分かっていたと思います。そんな時は“下に若い子(弟子)がおると燃えてくるやろ”とからかうのです」
独特の愛情表現はヒートアップしていき、恵美子さんに局部の写真を撮らせてほしいと頼んできたこともあった。また、仕事で海外に出かけた際にもマメに彼女に電話をくれていたという。さらに、
「12年のことだったと思います。文枝さんが自分の高校時代の友人のいる前で、“俺、50年後に彼女と結婚すんねん”と言ったんです。もちろん、こんな約束は意味がないと分かっていましたけど、その時はうれしくて、電話するたび“50年後に結婚してくれるんですか”と話していたものです」
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