自分のことは棚に上げ、娘の不倫は許さない… 54歳の父が駆け落ち寸前の我が子にした“恥ずかしい説得”

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 自分は不倫をしていても、娘に不倫は許さない。身勝手ではあるが、それが一般的な父親の思いだろうと察しはつく。【亀山早苗/フリーライター】

「いや、でも葛藤はありますよ。成人した娘の恋愛に親が出ていって別れさせたのも、娘の自由を潰す権利がオレにあるのかと悩んだし、自分を振り返ってそんなことをしていいのかとも思ったし。それでも娘には、せめて独身の男とつきあってほしかったんです」

 小沢亮太さん(54歳・仮名=以下同)は、眉間にしわを寄せ、苦渋に満ちた表情でそう言った。彼は友人の飲み会で出会った2歳年下の朱美さんと1年の交際を経て、29歳のときに結婚した。

「周りもそろそろ結婚しはじめていたし、僕も次に出会った人とは結婚したい。そう思っていました。朱美も結婚を考えている時期だった。お互いのタイミングが合ったんでしょう。すぐに子どもも授かり、着々と“家庭”ができていきました」

 30歳で長女、32歳で長男が生まれた。妻は仕事を続けたいと思っていたようだが、現実的には手が足りない。「とりあえず退職し、子どもが学校に上がったらまた仕事を始める」ということになった。

「当時は賃貸マンションに住んでいましたが、子どもがふたりだと手狭になってきました。そんなとき朱美の実家から、『隣の家が空くから越してこないか』という話があったんです。隣家に住んでいた年配のご夫婦の夫が亡くなり、妻のほうは娘一家と暮らすことになったので家を手放したいと。家には思い入れがあったようで、できれば知っている人に住んでもらいたいという。朱美の親とは仲がよかったから、じゃあ、娘一家に住まわせようということになったようです。僕は正直、妻の実家の隣に住むのは気が進まなかったけど、朱美は大喜びでした」

 都内の一軒家としては破格の価格、しかも妻の両親が援助してくれるという。自分でローンを組むことを考えれば、生活もずっと楽になるのがわかりきっている。拒否する理由はなかった。

「漠然と30代のうちに家を買えたらいいなとは思っていましたが、35歳のときに一軒家が手に入った。きれいな家でした。住んでいた方が丹精込めて手入れをしてきたんだろうと思いましたね。朱美は『隣のおばちゃんがきれいにしてきた庭を引き継ぐ』とガーデニングを始めて。半年後には子どもたちを保育園に預けて働くようになりました。万が一、遅くなっても親が助けてくれますしね。朱美にとってはいい引っ越しだったと思います」

 当時、朱美さんの両親は60代前半。彼女には弟がいるが、大学時代から遠方に住んでおり、朱美さんはもともと親の面倒は自分が見ると決めていたらしい。だから何もかもがうまくいったのだ。亮太さんの「妻の親の隣に住むのはなんだかな」という思いを除いては。

「実際、朱美はなにかと両親を頼っていましたね。僕も帰宅が遅いのでなかなか気づかなかったんですが、平日はほとんど実家で夕飯をとっていたようです。何年かたって気づいて、ちゃんと食費を払うように言ったんです。すると妻は『いいのよ、おかあさんだって喜んで夕飯を作っているんだから』と。遅くに帰宅したとき食べていた料理は、妻が隣から持って帰ってきたものだったということにも軽くショックを受けました。あとから義母にお礼を言ったら、『私たちも食卓が賑やかになってうれしいんだから、いいのよ』と。せめて食費は払うと言うと、『そんな水くさいことは言わないで』とかわされてしまいました」

 ありがたいと思う半面、妻の実家に取り込まれていくような不安を覚えたという。妻にとっては両親だが、亮太さんにとっては「妻の両親」はやはり他人なのだ。一度、早めに帰宅したとき、家には明かりがついていなかった。妻と子どもたちは隣で夕食をとっているのだろう。自分が行けば歓迎してくれるはず。それがわかっていても、亮太さんは隣に行くことができなかった。自分だけよそ者だという感覚があったのだ。

「部屋着に着替えて、チーズとスルメでビールを飲んでいると妻たちが帰ってきました。『おとうさん』と抱きついてくる子どもたちはかわいかったけど、妻は『帰ってたのなら、来ればよかったのに』と。僕の気持ちはわかってもらえないんだなと思いましたね」

 自分でも意識できないくらい少しずつ、亮太さんの気持ちは妻から離れていった。妻の実家という枠から押し出されるような感じがしていたという。

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