「開かれた皇室」は間違いだったのか “私”重視を生んだ自由教育と失われた神秘性を検証
自由な家風を黙認してきた国民も…
会見の日、秋篠宮さまは「類例を見ない結婚」「誠に申し訳ない気持ちでおります」など、慶事にあって異例の談話を発表されたのだが、所氏は続けて、
「とても辛いお気持ちだろうと拝察いたします。秋篠宮さまには、これまで“自分たちは内廷皇族ではないから、ある程度自由にしてよい”というお考えがあり、子育ても本人任せにしてこられたのかもしれません」
そう指摘するのだ。
「ところが、お父上の退位により兄君が即位されると、男子のない兄君の後にご自分が皇位を継承しなければならないことになられました。これまで秋篠宮家の自由な家風を黙認してきた国民も“これでいいのか”という疑問を抱くようになったのではないでしょうか。皇室は、国民の“お手本であってほしい”という期待に応え、信頼され尊敬されてきました。その皇族で次の天皇となる皇嗣の長女が、公的に品位保持を放棄して“私”を優先させるような形の結婚をした。そのあり方に、国民が失望してしまったのだと思われます」(同)
秋篠宮さまの行動原理
今回の騒動でクローズアップされたことの一つに、皇族のお振る舞いにおける「公」と「私」がある。多くの国民の理解を得ないまま結婚に踏み切り、戦後初めて婚姻の儀式を経ずに皇籍を離脱することとなった眞子さんは、あわせて一時金も辞退。まさしく皇室の歴史を塗り替えてしまったわけである。加えて、小室家の抱える金銭トラブルにおいては、皇族でありながら民間人同士の争いに介入、挙げ句一方に肩入れして仔細な指示を出していたのである。
にわかに信じ難いこれらの振る舞いは、いかなる“行動原理”に基づくのか。
「ひとくちに皇室といっても、お一人ごとに個性やお考えの違いはあるものです」
とは、慶應義塾大学の笠原英彦教授(日本政治史)。
「なかでも秋篠宮さまは“皇室ももっと自由であるべき”“国民にもっと近づくべき”とお考えになっていたのではないでしょうか。こうしたお考えをもとに、お子様方の教育でも学習院にこだわらない学校選びをされたのだと思います」(同)
秋篠宮さまもまた、在学中に知り合われた紀子妃とは自由恋愛を成就されてご成婚。昭和天皇の喪が明ける前に婚約発表をなさるなど、従来のしきたりに囚われないお振る舞いが目立った。
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