人気構成作家「オークラ」が語るバナナマンとの出会い、理想のコントライブとは

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ダウンタウンの影響下で

「さまざまなカルチャーが融合するコントライブを作り上げる」

 芸人を目指し始めた1990年代初頭から現在まで一貫して同じ思いを抱きつけているのは、「第3のバナナマン」と呼ばれる構成作家のオークラ(48)だ。構成作家とは、オークラ曰く「テレビ、ラジオなどの企画を考えて、台本を書いている人」。彼はバナナマンと古くから親交があり、「ゴッドタン」(テレビ東京)、「はねるのトびら」(フジテレビ)、「トリビアの泉」(フジテレビ)、TBSラジオ「JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD」など数多くの人気番組のほか、バナナマンはじめ東京03などのコントの台本も手掛けている。

 オークラが青春時代を送った90年代初めはダウンタウンが台頭し、芸人のみならず多くの若者がその影響を受けた。その時代に頭角を現し、現在も活躍を続ける芸人たちと歩みをともにしてきた彼が、東京のコントシーンの歴史と自身の半生を振り返る『自意識とコメディの日々』(太田出版)を出版した。

 バナナマンやアンジャッシュ、アンタッチャブル、おぎやはぎ、東京03などのコントを初めて見た際の衝撃や、芸人を目指した学生時代から作家に転向するきっかけ、やりたいコントライブを目指してもがき続ける日々を綴った同書は、一人の若者の「青春譚」でもある。

「日本のお笑いが一番熟成されたような時期だった」と言うオークラに、当時の様子やお笑いに対する思いなどを聞いた。

“自意識”が肥大化した若者たち

「子どもの頃、お笑い芸人は疑いの余地なく“おもしろい人”だと思っていました。ところが、(ダウンタウンの)松本(人志)さんが初めて他の芸人を『あいつはおもしろくない』って言い始めて、全エンターテインメントの頂点に立つのがお笑いだという『お笑い至上主義』を打ち立てたんです。僕が大学1年生だった93年頃には、松本さんに触発されて『自分はおもしろい』と思う“自意識”が肥大化した若者たちがウヨウヨしていました。

 顔が良い、歌がうまいといった客観的な評価がすぐ出るものと違って、“おもしろい”はまず自意識で判断するしかない。プライドもコンプレックスもひっくるめた自意識と戦っているヤツがお笑い芸人を目指していたんです。僕も94年に出版された『遺書』を読んで、そこに書いてある事に勝手に共感し、自分も同じような才能があると錯覚していました。

 僕は世の中で一番影響を持つ者の下に、才能を持った思春期の若者たちの多くが流れていくと思っていて、だからこそこの頃、後に名だたる芸人になる人たちがお笑いに集まってきました。『自意識とコメディの日々』では当時の東京のお笑いシーンについて書いています。90年代中期から現在に至るまでの話です」

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