袴田巖さんに異例の支援を続けたボクシング界 輪島功一さんが振返る裁判所への怒り【袴田事件と世界一の姉】
1966(昭和41)年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社「こがね味噌」の専務一家4人を殺害した強盗殺人罪で死刑が確定し、囚われの身だった袴田巖さん(85)が静岡地裁の再審開始決定とともに自由の身になったのは、2014年3月のことだった。半世紀前、今ほど華やかでなかったプロボクシング界に身を置いていた巖さん。姉のひで子さんは「あの時代、ボクシングは喧嘩好きの荒くれ男やヤクザ者がやるスポーツに見られていた。巖が柔道や剣道をやっていれば、あんなことにはならなかったかもしれない」と振り返る。連載第7回。(粟野仁雄/ジャーナリスト)
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【写真と表】袴田事件がよく分かる表と現役時代の袴田巖さんなど
柔道からボクシングに転身
2021年の大晦日の夜、ボクシングのWBO(世界ボクシング機構)スーパーフライ級王者・井岡一翔(32)の防衛戦が東京の大田区総合体育館で行われ、35歳の福永亮次を判定で下した。挑戦者の福永は26歳の遅いプロデビュー。大工を続けながらの「二刀流ボクサー」が最後までよく攻めた好試合だった。一方、12月29日にさいたまアリーナで予定されていた注目のWBA(世界ボクシング協会)ミドル級王者・村田諒太(35)の統一王座戦は、新型コロナ対策の水際作戦で、相手のIBF(国際ボクシング連盟)同級王者ゲンナジー・ゴロフキン(39・カザフスタン)の来日試合が難しく中止になった。女子ボクシング界では、東京オリンピックの女子フェザー級で金メダルに輝いた陽気な「カエル大好きボクサー」入江聖奈(21)が人気急上昇。ボクシング界は2022年も盛り上がるだろう。
中学校まで柔道をしていた巖さんは、ボクシングに転身後、国体でも大活躍し、アマ時代から注目される選手となった。そんな巖さんが当時は静岡県で唯一のボクシングジムだった清水市の「串田ジム」の門を叩き、厳しいプロの世界に飛び込んだのは1958年5月頃だった。その後、串田昇会長が見つけたスポンサーを頼り、9月には上京した。
「巖がプロボクサーになる時も母(ともさん)は全く反対しなかった。次男の兄(實さん)の就職の時だけは、すごい就職難で遠鉄(遠州鉄道)に頼みに行ったみたいだけど、基本的に子供たちには好きな道を歩ませてくれた。だから私も好き放題していましたよ」とひで子さんは快活に笑う。
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