「水谷豊」独占80分 松田優作との思い出、「相棒」の舞台裏、体力維持と老いを語る

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陸上で五輪を目指していた過去が

 だが、監督の顔になったときの彼は、実に楽しそうに演出していた。DVDの特典映像に映っていたのは、緊迫した雰囲気ではなく、チームワークの取れた和やかな現場だった。

「撮影中は子供が遊んでいるみたいだと、よく言われます。俳優って、正解がない世界に生きていかなきゃならない。でも、監督というのは正解というかOKを出さなきゃいけない。辿り着きたい世界というのは確実に持っているんですね。一本を通しての全体のバランスとか、熱量とか、演出側から見るとあるんです。俳優でいるときと、監督でいるときとでは、世界が全く違って見える」

 俳優を演出するときは、動きはもちろん、台詞もこんなふうにと見本をみせる。

「基本的に俳優は、正しいか正しくないか、最終判断はできないんです。監督と違って、俳優は全てのシーンを計算して芝居するというわけにもいかないので。(僕が演技指導すると)正解を見せてくれているという喜びがあるみたい。それは俳優さんに言われますね」

 演技指導で私が驚いたのは、豊ちゃんの身体能力だった。俳優さんがベッドに横たわっている上を、いとも軽やかに飛び越えてみせるのだ。日頃から練習していたのだろうか。

「いや練習はしてないです。咄嗟にやったことです」

 父親が犯人を追いかけて走るシーンでも、これは走り慣れていると分かる。役柄は中年なので、すぐに息が切れて追いつけないという設定だが、かなりの距離を走っている。

「僕は中学のときに陸上をやっていたんですよ。全日本クラスの学校で。先輩が400メートルリレーの日本新記録を持っていた。僕も国立競技場で走っているんですよ。体育祭のときの僕の走りを見て、陸上部にスカウトされたんです」

 当時はオリンピックを目指して競技に励んでいたという。初耳だが、彼はスポーツマンだったのだ。

「昔ね、下手な俳優は走らせろ、怒鳴らせろ、水をかけろ、という言葉があったんですよ。走ると必死になって見える、怒鳴っていると人間ぽく見える、水をかけると綺麗に見えるって」

「俳優は中途半端な時期を一度過ごさなきゃいけない」

 陸上競技をやっていた時の体力はもうないというが、「相棒」の息は長く、21年でシーズン20に突入した。

「『相棒』が始まったのは、僕が47歳のときだったんです。でね、20代の頃は早く40代になりたかったの。エネルギーを持て余して、落ち着かなくて、どうしていいか分からないことがいっぱいあった。この役をやったら、早く次に行きたい。これだけじゃない自分を見せたいという気持ちがあった。だけど40代になっても全然落ち着かないのね」

 まだまだ自分を持て余していたが、50歳近くになって転機が訪れた。

「ちょうど『相棒』が始まる頃だったんだけど、あ、なんかバランスが取れてきたなと思う瞬間があった。自分の中で収まりがよくなって、これが求めていたことなんだと思って。だから、50代ってすごく楽しかった。で、もう60代が終わるんだけど、60になったらなったで、また楽しかったのね」

「相棒」が始まった頃に落ち着いてきたのは、自分が下の世代を育てるというポジションになったことも影響しているのだろうか。

「若い時に売れたとすると、それはまさに若いから売れたわけですね。でも、若いとは言えなくなると、下には若い人がいて、上にはなかなかな先輩たちもいるという、すごく中途半端な時期を一度過ごさなきゃいけない。で、それを過ごした後に何が残っているか。そこで終わっちゃう人が多いんですよ。ところが、先へ行ける人というのは、それだけのエネルギーや世界を持って、ちゃんと歩んでいく。さっき話したバランスが取れてきた時期というのは、下にいても上にいても自分の世界は確実に持てると実感できた時だったと思うんですよね」

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