医薬品で進む「モダリティの多様化」と世界的モノ不足のリスク

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供給不足という難局

 医療・材料・化学分野で注目のトピックを紹介するという主旨の本稿だが、まずはこの分野が迎えている難局について記しておきたい。物資供給が、多方面にわたって停滞しているのだ。半導体の不足と、それに伴う各種電子機器の払底はすでに大きな問題となっているが、化学工業の基礎を成す基本的な化成品及び溶剤類、また重要な医薬品類なども揃って供給不足に陥っている

 半導体の不足は、テレワークや巣ごもり需要の拡大、そして急速に進むEV(電気自動車)生産といった要因に、台湾や米国での天災などが加わって起きた。一方、各種の化成品の不足は、原油価格の高騰に加えて中国の電力制限が大きな原因となっている。また、医薬品の供給不足は、小林化工や日医工などいくつかのメーカーが不祥事を起こして操業停止処分を受けたことが、業界全体の混乱をもたらしている。昨年11月29日に発生した大阪・舞洲の日立物流西日本倉庫の火災は、この医薬品供給不足に追い打ちをかける形になった。もちろんコロナ禍の影響も大きく、たとえばベトナムでのロックダウンによって、各種機械部品や合成繊維のサプライチェーンが寸断された。

 要するに各種の物資供給の不足は、コロナ禍・天災・国際情勢・CO₂排出削減・不祥事などの要因が複合して起きていることであり、一朝一夕には解決しそうにない。さらにアドブルー(ディーゼルエンジンの排ガス浄化に用いられる尿素水)の不足から、物流にも危機が及びかねない状況だ。

 精密機器や各種試薬を駆使する研究の現場は、こうした状況の直撃を受ける立場にある。ほとんどの研究分野は、ある一つの測定機器や研究試薬の供給が止まっただけで、致命的な打撃を被る。たとえば現在、酢酸エチルという溶剤の供給が滞っているが、これは有機化学分野では広く用いられており、代替もききにくい。また冷却用に用いられるヘリウムも近年供給不安が生じているが、分子の構造決定に用いる分析機器に必須であり、これがなければ研究は完全にストップする。少ない物資の配分も、たとえば医療や自動車産業などの方が、どうしても優先順位は上になることだろう。筆者が見聞きする範囲でも、すでに少なからず影響は出始めているようだ。

 もちろん物資供給は経済・産業全体に及ぶ問題ではあるが、科学技術分野は特にダメージを受けやすい。今後の展開いかんによっては、ある分野の進展が全く止まりかねないことをまず指摘しておきたい。

新形態の医薬続々

 さて、まず医薬品分野の新たな方向性を取り上げよう。近年の大きな流れとして、「モダリティの多様化」が挙げられる。モダリティとは「様式」「様相」という意味合いの言葉で、医薬品業界においては治療手段の分類を指す。たとえばワクチンや再生医療なども、モダリティの一つに数えられる。

 かつてこうした言葉が用いられなかったのは、2000年ごろまでは、医薬品といえばほとんど「低分子医薬」と呼ばれるもの一辺倒であったからだ。このタイプの医薬は、原子が数十個程度結合した小さな分子が、治療の本体となる。用いられる分子は、植物や微生物から抽出したり、化学的にフラスコ内で合成したりして作ったものだ。これらはサイズが小さいため、生命活動の舞台となる細胞内に苦もなく入り込み、薬効を発揮する。

 1990年代にこれら低分子医薬は全盛期を迎え、各社は巨大な売り上げを誇る医薬(ブロックバスター)を連発した。この時期、日本の製薬メーカーも多くの大型製品を世に送り出し、我が世の春を満喫している。

 しかし21世紀に入る頃からこの手法には翳りが見え始め、代わって抗体をはじめとするタンパク質医薬という新たなモダリティが出現した。これらは数万もの原子が集まった巨大分子であり、細胞の中には入り込めない。しかし、サイズが大きいだけに細胞表面にあるタンパク質を正確に認識し、その機能を調節することで薬効を現す。正確に認識するということは、余分な副作用が起きにくいということであり、このため最も費用がかかる臨床試験の段階を突破しやすいのだ。

 抗体医薬の主な活躍場所は、がんやリウマチなど今までは治療が難しかった疾患だ。たとえば、がん細胞の分裂に必要なタンパク質の働きを止めることで、その増殖を食い止めるものが登場している。画期的な抗がん剤として話題をさらったオプジーボも、抗体医薬の一種だ。これら抗体医薬は、現在の医薬品売り上げランキング上位の大半を占めている。

 2010年代以降になると、核酸医薬や中分子医薬など、さらに新しいモダリティが登場した。これらは低分子医薬とタンパク質医薬の中間に当たるサイズの医薬で、いわば両方のいいとこ取りを狙ったものだ。日本ではペプチドリーム社など、独自技術を持ったベンチャー企業がこの分野を牽引している。このタイプは大量生産が難しいと考えられてきたが、その課題を乗り越える技術も発展しつつある。

 近年では、細胞治療が大きなトレンドになっている。たとえばCAR-T療法という手法は、がん患者の体内から取り出したT細胞(免疫細胞の一種)の遺伝子を改変してがん細胞に対する攻撃力を持たせ、培養して体内に再注入するというものだ。これまでの常識ではとても医薬の範疇に入ると思えないような治療法だが、これが「新薬」として承認を受ける時代になってきている。

 mRNAワクチンの成功で勢いづくRNA医療も、もちろん有力な新規モダリティだ。タンパク質の設計図となるmRNAを体内に送り込むことで、必要な機能を持ったタンパク質を生産させられるため、応用範囲は広い。たとえば心虚血疾患などでダメージを負った組織に対し、血管新生の命令を出すタンパク質を生産させることで、血管を回復させる方法が試されている(アストラゼネカ社で臨床試験中)。

 ゲノム編集などによって細胞内のDNAを改変してしまう手法は、将来的に未知の影響が現れる懸念がつきまとう。しかしmRNAは一時で消えてしまうためこうした問題がなく、基本的に安全性は高いと見られる。

 一方で、デジタルヘルスケアと呼ばれる領域など、今のところあまりうまく行っていないモダリティもある。スマートフォンのアプリやウェアラブルデバイスを通じて、疾患の治療や予防を行なうというものだ。たとえばピア・セラピューティクス社の「reSET」は、患者に行動認知療法のレッスンを行なったり、服薬の時間を知らせたりする機能を持つ。臨床試験で有効性を実証し、この分野で初めて米国FDA(食品医薬品局)の承認を得た。

 他にもいくつか、臨床試験などにノウハウを持つ製薬企業と、ヘルスケア分野に打って出たいIT企業がタッグを組んでこの分野に乗り出しているが、成功に結びつかず撤退するケースが多い。年間数千億円もの研究開発費を投じるメガファーマにとっては、十分な売り上げが見込みにくいことがネックだろう。

 続々と登場する新規モダリティだが、薬価の高さが大きな問題となりそうだ。抗体医薬による抗がん剤なども、薬価が一人年間数百万円に上るケースがあり、大きな問題となっていた。しかし細胞治療などはその比ではなく、上記CAR-T療法などは1回の薬価が3000万円を超える。またノバルティス社の遺伝子治療薬ゾルゲンスマは、米国で212万5000ドル(約2億4000万円)という途方もない薬価がつけられた。「命の値段」を誰がどのようにつけるべきなのか、議論の多いところだろう。

 ただし、こうした新しいモダリティの登場に、日本勢は残念ながら十分対応できているとは言い難い。2020年の医薬品売り上げランキングでも、国産で上位に食い込むのは先のオプジーボのみだ。たびたび報じられる通り、新型コロナに対するワクチンや治療薬でも、日本勢は海外企業の後塵を拝している。2021年の医薬品貿易赤字は3兆円を超えると見られており、新規モダリティへの対応の遅れが大きな要因となっている。特に、今後のコロナ変異株の情勢、次なるパンデミックを見据えれば、mRNAワクチン技術を国内で持っておくことは急務だろう。

脳と機械を接続する

 人体に関連したテクノロジーで、もう一点重要なトピックに触れておきたい。

 2016年に囲碁対戦人工知能AlphaGoが現れて以降、AIが人間の職を奪うといった予測が数多くなされてきた。AIの恐怖に怯えるのは我々のような一般市民ばかりではなく、イーロン・マスクのようなシリコンバレーのリーダーさえ、この危機感を共有しているという。そこで彼らが考えているのは、人間の脳を直接機械に接続し、我々自身を「バージョンアップ」しようというアイディアだ。ちまちまと学習・修練を重ねて新しい技能を身につけるのではなく、脳に直接ダウンロードできるようにしたい、というわけだ。

 あまりに荒唐無稽なようだが、こうしたブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)の研究は急ピッチで進められている。開頭手術で電極を直接脳に埋め込むような過激な方法から、ヘルメットのような器具をかぶることで外部から脳波を読み取る比較的穏健な手法まで、アプローチは様々だ。

 前者のタイプの歴史は思ったより古く、脳科学者ロバート・ヒースは1950年代に早くも脳に電極を埋め込み、各種精神病患者の治療を試みている。彼の研究はあまりに急進的すぎたこと、そしてあまりに反倫理的であったこと(脳に電流を送りながら性的刺激を与えることで、同性愛者を異性愛者へと「治療」するという実験を、1972年に行なっている)などから、その存在はほぼ医学界から消されたようになっている。しかし彼とその追随者は多くの実験を繰り返し、電流の刺激により音楽の好みや暴力性など人格そのものが変えられること、認知機能や記憶力が向上しているらしい証拠さえ掴んでいる(ローン・フランク『闇の脳科学』より)。我々が、自分自身の核であり、不変のものと思っている人格や能力は、実のところ単純な電気刺激によって改変できるものなのだ。

 現代におけるヒースの後継者は、メタ(「フェイスブック」より社名を変更)をはじめとしたシリコンバレーの先鋭的企業群だ。すでに、脳に電極と半導体チップを埋め込んだサルが、手などを使わず思念だけでビデオゲームをプレイすることが実現している。また人間でも、事故によって首から下が麻痺した患者が、頭で考えるだけで文字をパソコンに入力することも可能になっている。

 この成功の背景には、近年急速に発展した機械学習の技術がある。脳内の電気信号のパターンと、脳が行なおうとしている行為の関連を繰り返し学習することで、読み取り精度を高めているのだ。こうした手法を発展させ、脳で考えただけで義手を動かし、飲み物を飲むようなことも実現した。

 ただし、このように脳に機械を埋め込む手法は感染症などの危険が大きく、倫理的にも問題が多いのは確かだ。ヘルメットのような機器で外部から脳波を読み取れればよいが、大きく精度が落ちる。この点ではまだまだブレイクスルーが必要なことだろう。

 そしてまた、究極のプライバシーともいうべき脳内の情報を、他人に読み取らせることへの危険と抵抗感は、今後の大きな課題となるだろう。外部から脳内を「ハッキング」される危険はないか、機器の故障の場合どうするのか、軍事応用される可能性はないのかなど、懸念されることはあまりに多い。倫理面からの検討を十分行なわないうちに、これら技術が暴走することはあってはならないが、人類がやがて自らの技術で自らを進化させる方向に進んでいくのは、どうやら確かなようだ。

佐藤健太郎
1970(昭和45)年、兵庫県生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了。医薬品メーカーの研究職等を経て、現在はサイエンスライター。2010年、『医薬品クライシス』で科学ジャーナリスト賞受賞。著書に『炭素文明論』『世界史を変えた新素材』など。

Foresight 2022年1月9日掲載

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