3代目“山の神”神野大地が振り返る15年の青学優勝 「もうダメだって思った時に…」(小林信也)

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小涌園のところで

 明けて1月2日、青学大4区の田村和希は区間新の快走、2位で5区神野にタスキを託した。トップ駒沢大との差は46秒だった。

「レースを振り返ると、あの日は本当に幸運の連続でした」

 神野が神妙な顔で呟いた。

「序盤はそれほど寒くなかったので汗をかいたんです。山に入ると急に寒くなって身体がすごく冷えました。他校の何人かは低体温症を起こしたようです」

 神野は防寒対策が功を奏して深刻な状態には陥らなかった。Tシャツを選び、手袋を2枚重ね、アームウォーマーを付けていた。道の両側には、前日降った雪が積もり、風に舞っていた。

「46秒差が絶妙でした。身体が限界に近づいた時、前の選手が見えて頑張れた。しばらく一緒に走って休むこともできました」

 そして後半。いよいよ厳しい冷気が神野を襲った。

「山に入るとずっと日陰が続きます。寒さで頭がものすごく締め付けられて、もうダメだって」

 その時、陽光が神野に降り注いだ。

「14キロを過ぎて小涌園のところで日向(ひなた)になったんです。あの暖かい日差しで生き返りました」

 終盤の下りを軽快に走り、神野はトップで往路のテープを切った。それが青学史上初の優勝であり、4連覇の幕開けとなった。

 卒業後はプロのランナーとしてマラソンを走っている。次のパリ五輪、そして世界選手権を目指している。

 私はふと、いつも思っていることを尋ねてみた。山登りの才能は、山登りでこそ発揮できる。だとしたら、「箱根5区の世界選手権」をやったらどうだろう。誰かが企画しないか。そう言うと神野は目を輝かせた。

「いま平地では敵わないケニアの選手にも箱根の山なら負けません。自信があります」

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2021年12月30日・2022年1月6日号掲載

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