3代目“山の神”神野大地が振り返る15年の青学優勝 「もうダメだって思った時に…」(小林信也)
青山学院大・原晋監督の眼に、うさぎのように軽快に跳ねる少年の姿が飛び込んだのは、少年が中京大中京高2年の夏だった。長野県菅平のクロスカントリー・コース。社会人から大学生、中学生までが走るそのコースを、青学大も合宿で利用していた。学生を見る中で、原の目に留まったのが体重37キロ、華奢な身体で手足を思いきり動かして跳ぶランナーだった。
「きみ、名前は?」
原との出会いはそんな会話から始まった。
「神野(かみの)大地です」
まだ陸上界で誰も知らない名前だった。
「夜になって、原監督が宿舎を訪ねてくれたんです。そして、『きみはこの夏が明けたら必ず速くなる。卒業したら、うちで一緒にやらないか』と誘ってくださったんです。僕はそれまで目立った実績もなかったので、関東の大学から声がかかったのは初めてでした」
青学大は、原が監督に就任してから着実に力を伸ばし、箱根駅伝の常連に名を連ねるようになっていた。だが優勝にはまだ届かない、発展途上の時期だった。
その冬、神野は原監督の予言どおりの成長を遂げた。全国高校駅伝には出場できなかったが、次第に神野の名は知られるようになり、複数の大学から誘われた。原監督からも改めて打診を受けた。神野が原に未来を託すのは当然の選択だった。
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