なぜ皇室崩壊の危機は訪れたか 「開かれすぎた皇室」が招いた眞子さんの結婚トラブル

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戦争責任についての認識を共有

 実際に、慶應義塾福澤研究センターの都倉武之准教授によれば、

「小泉信三の残した『御進講覚書』を読むと、皇太子時代の上皇さまに、とても細かく厳しい指導があったことが分かります。そのノートには『責任論からいへば、陛下は大元帥であられますから、開戦に対して陛下に責任がないとは申されぬ。それは陛下御自身が何人よりも強くお感じになってゐると思ひます』と、昭和天皇の戦争責任にはっきり言及している。その後には、それでも皇室が存続したのはなぜか、よく考えて模索し続けよ、と続きます。指導を行う前、小泉は昭和天皇とも相談し、戦争責任についての認識を話し合っていたと考えられます」

 この「覚書」が書かれたのは1950年で、

「その3年後、皇太子時代の上皇さまは初の外遊で欧州に赴かれ、英国では昭和天皇の名代でエリザベス女王の戴冠式にご出席。小泉も随行するのですが、小泉はご自身がどう報じられているかを教えるため、現地の新聞を和訳するよう皇太子さまに指導しています。戦後8年、敵国だった日本の皇太子を良く思わないムードもあり、決して歓迎一色ではありませんでしたが、“ご自分がどう見られているのか、常にアンテナを張りなさい”という趣旨でした。それが象徴として大切なことだと小泉は考えていたのです」

 ちなみにその和訳には、小泉の“赤字”がびっしり入っていたという。

タレントと同一視

 こうした経験を積まれ、戦争についての考察を深められた上皇さまは、平成の御代ではひたすらに「国民と共に歩む皇室」を推し進められてきた。先の笠原教授は、

「皇室の安定には、国民との適切な距離の維持が欠かせません。平成になって戦争を知らない世代が増える中、上皇ご夫妻は福祉活動などを通じてその距離を保ってこられました。いわゆる“平成流”と呼ばれるものです。自然災害のたびにご夫妻は現地で被災者と向き合われ、励まし続けてこられた。そのお姿に、国民の側も倫理観や道徳性を学んできたのです」

 もっとも、

「国民の側で問題なのは、教育において皇室を知る機会が極端に少ない点です。皇室の存在意義や一般人との違いを教わったり考えたりする場がないため、若い世代を中心にタレントと同一視しているような人が増えていると感じられます。小室さんの件では、ニュースサイトに“我々の血税で暮らす皇族”といった趣旨のコメントが多くみられました。少し前ならば考えられなかったことです」(同)

 皇室と国民との距離が近づくのはいいとして、それが適切でないほどに縮まったということか。

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