「大屋政子」の毀誉褒貶 資産は300億円、“おとうちゃん”が再生した帝人の手のひら返し

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アドバイザリーボード

 安居が何より腐心したのは、経営の透明性である。1999年、アドバイザリーボードを導入した。同ボードは、国内外の有識者で構成され、経営内容の監視はもちろん、トップの業績評価や進退、後継者の指名などを取締役会に助言する機関である。

「私が変な方向に走り出した時には『社長を辞めろ』とためらうことなく言ってくれ」と、安居はアドバイザリーボードのメンバーに頼んだというのだ。晋三の独裁を目の当たりにして安居は、権力の暴走をいかに食い止めるかに心を砕いた。

 取締役はトップによって直接任命されているため、トップに異議を唱えることは難しい。ならば、外部からトップをチェックしてもらう。その仕組みとしてアドバイザリーボードを採り入れた。日本人同士だと馴れ合いや気兼ねが生じるから、しがらみのない欧米人を2人入れた。安居は社長のクビを切ることができる制度を創ったのである。

 アドバイザリーボードを導入した意味を、社内外に実感させたのは、2001(平成13)年冬の突然の社長交代だった。同ボードの指名で、安居の後任に常務の長島徹の昇格が決まった。

透明な人事

 帝人に限らず、トップ人事は前任社長ないし実力会長の指名で決まるのが慣わしである。トップを指名する権限を握っていることが権力の源泉となっていた。安居は人事権を外部の人間で構成されるアドバイザリーボードに渡した。しかも、ボードを形式的なものにせず、自らの意思で社長の椅子を下りたのだ。

 安居は当初から2002(平成14)年4月に社長を辞める考えであったが、舌に腫瘍が見つかり、早めの社長退任を決めた。5人の候補者の中から社長を指名することをアドバイザリーボードに求めた。

 ボードは長島徹の優れた実行力を評価し、次期社長に指名した。その決定は、すぐに取締役会に諮られ、安居の会長就任と長島の社長昇格が決まった。外部の人間によって社長が指名されたのである。トップ人事の透明性とは、こういうものかと社員に実感させた。

「サラリーマン社長はゴールのない駅伝のランナーだ」。安居がよく口にする言葉である。サラリーマン社長は、4年なり5年先の引退時期を決め、それまでは全力疾走して次の人間にバトンを渡す。それが務めだという。「10年なんて、だらだらやるべきではない」と安居は言い切る。そこには26年間君臨した大屋独裁を繰り返してはならないという、強い決意が込められている。

註:この記事は有森隆氏が上梓した『経営者を格付けする』(2005年8月・草思社)の内容を踏まえて執筆された。

有森隆(ありもり・たかし)
経済ジャーナリスト。早稲田大学文学部卒。30年間、全国紙で経済記者を務めた。経済・産業界での豊富な人脈を生かし、経済事件などをテーマに精力的な取材・執筆活動を続けている。著書に『日銀エリートの「挫折と転落」――木村剛「天、我に味方せず」』(講談社)、『海外大型M&A 大失敗の内幕』、『社長解任 権力抗争の内幕』、『社長引責 破綻からV字回復の内幕』、『住友銀行暗黒史』(以上、さくら舎)、『実録アングラマネー』、『創業家物語』、『企業舎弟闇の抗争』(講談社+α文庫)、『異端社長の流儀』(だいわ文庫)、『プロ経営者の時代』(千倉書房)などがある。

デイリー新潮編集部

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