ネット上で盛り上がる「愛子天皇待望論」 女性天皇はこれまで8人 波瀾万丈の人生を専門家はどう見ているか

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推古天皇と聖徳太子

 初の女性天皇は、第33代の推古天皇(554~628)だ。

「父は第29代の欽明天皇(509?~571)で、聖徳太子として知られる厩戸皇子(574~622)から見ると、推古天皇は叔母にあたります。異母兄である第30代の敏達天皇(538?~585)と18歳で結婚しました。2男5女をもうけますが、夫である敏達天皇が585年に崩御してしまいます」(同・記者)

 敏達天皇の次に即位した第31代・用明天皇(?~587)は在位2年で崩御。当時の皇室は権力闘争が激しく、続く第32代・崇峻天皇(553?~592)は暗殺されてしまう。

「蘇我馬子(551?~626)らが要請し、593年に推古天皇が第33代の天皇に即位しました。日本書紀には、女性皇族が摂政に就いたり、ごく一時的に即位したりといった記述もありますが、現在、明らかになっている歴史的事実としては、推古天皇が史上初の女性天皇です。聖徳太子を後押しし、冠位十二階、十七条憲法、遣隋使の派遣、法隆寺の建立など、まさに日本史に残る重要な施策を行いました」(同・記者)

皇極天皇と中大兄皇子

 2人目の女性天皇である第35代の皇極天皇と37代の斉明天皇(594~661)は同一人物だ。もともとは第34代の舒明天皇(593~641)の皇后だった。

「夫だった舒明天皇が崩御しても、後継者が決まりませんでした。そこで皇后が皇極天皇として、642年に即位したのです。中大兄皇子──第38代・天智天皇(626~672)──の母親でもありました。彼が大化の改新を行うと、645年に第36代の孝徳天皇(596~654)に皇位を譲りました。これが史上初の天皇の譲位(退位)です。ところが孝徳天皇が崩御したため、655年に再び即位して斉明天皇となりました。こちらは史上初の重祚と言われています」(同・記者)

 3人目の女性天皇は、第41代の持統天皇(645~703)だ。第40代の天武天皇(?~686)の皇后だった。

「685年頃から天武天皇は病気がちになり、『政治のことは皇后と皇太子に報告せよ』と命じましたが、689年に皇太子だった草壁皇子(662~689)が病死。後に第42代の天皇となる文武天皇(683~707)を後継と決めますが、当時はまだ7歳。天武天皇が697年に崩御すると、皇后が持統天皇として第41代の天皇に即位しました」(同・記者)

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