キヤノン「御手洗冨士夫」は二足の草鞋で失敗 3度目の社長復帰も次のなり手がいないという惨状
破綻した“二足のわらじ”
経団連会長の毎日が、どれほど多忙を極めるものか。奥田会長の下で副会長を務めていた御手洗冨士夫は、多少は分かっていたはずだ。それなのに、敢えて二足の草鞋を履いた。増収増益の記録を快走中の冨士夫にとって経団連会長は、名経営者といわれるようになった自分への勲章だっただけなのかもしれない。
前任の経団連会長だった奥田碩が率いるトヨタ自動車のワシントン事務所は300人のスタッフを擁していた。
2001年、構造改革を掲げる小泉純一郎首相が登場し、政治と財界との関係も大きく変わった。だから御手洗冨士夫が経団連会長に指名されたともいえる。ボス(歴代会長や副会長)たちによる密室での決定ではないことを証明するために、御手洗は「奥田さんから指名されて(会長を)受諾した」と自ら公表した。この発言もそうだが、冨士夫の発言は時々、舌足らずになる。「だから誤解されることがある」と本人も認めるウイークポイントなのだ。
冨士夫はグループ全体で10万人以上の従業員を抱えるキヤノンを、10年以上にわたって一人で背負ってきた。経団連会長在任中は、名目的にはキヤノンの会長の肩書きだったが実質は社長業。社長業との両立は無理だった。
裏金事件が勃発
後任にはカメラ技術畑出身の副社長、内田恒二を第7代社長兼COO(最高執行責任者)に指名した。内田は京都大学工学部精密工学科を卒業した技術者だが、冨士夫の佐伯鶴城高校の後輩だ。財界活動に軸足を移している間に実権を奪われないように、同郷で冨士夫の息のかかった内田を起用したといわれた。
このあたりからキヤノンの経営がおかしくなった。
冨士夫は故郷の大分に800億円かけて複写機やプリンターに使うインクカートリッジなどの最新鋭工場を建設した。「人件費が安いから」という理由だけで中国に工場を作ったりはしない。こうした点に関しては立派な見識を持っていたが、大分工場で裏金疑惑が噴出し、故郷を大事にする冨士夫の負の部分が露わになった。
ある財界首脳はこう苦言を呈した。「御手洗さんは地元大分のことと、道州制を導入したら九州はどうなるかと、医者の家系だったという話しかない」。
2009年2月、燻り続けてきたキヤノン大分工場を巡る裏金・脱税事件が火を噴いた。大手ゼネコンの鹿島から裏金を受け取ったコンサルタント会社「大光」社長の大賀規久が、法人税法違反(脱税)で逮捕されたのである。
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