キヤノン「御手洗冨士夫」は二足の草鞋で失敗 3度目の社長復帰も次のなり手がいないという惨状

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 御手洗冨士夫は1935(昭和10)年9月23日、伯父の毅と同じ大分県南海部郡蒲江町(現・佐伯市)で、親兄弟親族すべて医者という家に生まれた。(敬称略。全2回の2回目/前編から続く)

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 医者になることを嫌った冨士夫は、中央大学法学部に進み検事を志したが、司法試験に不合格。卒業後の1961(昭和36)年、冨士夫によると「親孝行のつもりで毅のキヤノンカメラ(現・キヤノン)に入社した」。

 1966(昭和41)年、キヤノンが本格的に米国に進出する際に冨士夫は米国に渡り、23年間、駐在した。...

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