箱根駅伝「オツオリの衝撃」から33年…いわれなき中傷もあった「留学生ランナー列伝」

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桜美林大駅伝チーム監督に就任

 オツオリ、イセナの後継者として山梨学院大に入学したステファン・マヤカも4年連続で箱根の2区を走り、早大のエース・渡辺康幸と数々の名勝負を演じた。

 初対決の第69回大会(93年)では、渡辺に22秒差の1時間8分26秒で区間賞。2度目の対決となった第71回大会では、後半に時計が壊れてペースがわからなくなり、渡辺に32秒差の1時間7分20秒で3年連続区間賞を逃すも、首位で襷をつなぎ、2年連続Vに貢献した。

 前年の第70回大会では、左足の故障を押して1時間7分34秒の区間タイ記録で“本命”早大を抜いてトップに立つ執念を見せ、チームに勇気を与えたことが、初の往路&復路完全Vにつながった。

 卒業後も実業団で活躍したマヤカは、元陸上選手の日本人女性と結婚(帰化後に真也加ステファンに改名)。2013年に桜美林大の駅伝チーム監督に就任し、箱根を目指している。

 また、マヤカと同時期に箱根を走った亜大のビズネ・ヤエ・トゥーラは、史上初のエチオピア出身選手で、3年間目立った成績を残せなかったが、4年時の第72回大会(96年)で駒大・藤田敦史との激闘を制し、1区区間賞を獲得。チームのシード入りに貢献した。

レース前に矢沢永吉の「Don't Wanna Stop」

 その後の山梨学院大では、第85回大会(09年)の2区で、早大時代の瀬古以来29年ぶりの2年連続区間新を達成したメクボ・ジョブ・モグスが最も記憶に残る。

 この日のスタート前、モグスは天に向かって祈りながら、前年11月に病死した兄・ヘンネリさんに「区間新を出す」と約束。「天国から見ているはず」と渾身の走りを見せ、ゴール1キロ手前では、本国から呼び寄せた母・タビタさんの「ジャリーブ(頑張れ)」の声援にも応えて、見事1時間6分04秒の快記録を達成した。

 モグスの記録は、第96回大会(20年)で東洋大・相沢晃が史上初の1時間5分台を記録して更新。さらに昨年の第97回大会で、冒頭で触れた東京国際大・ヴィンセントが1時間5分49秒で塗り替えたが、そのたびにモグスの名前がクローズアップされた。

 モグスの良きライバルだったのが、日大のギタウ・ダニエルだ。2度目の箱根となった第84回大会(08年)の2区で大会史上最多の15人抜きを演じると、翌年の第85回大会では、区間賞こそモグスに1分遅れで譲ったものの、前年の自らの記録を大きく更新する20人抜きを達成した。

 モグスとの箱根での最後の対決は、「離れていて勝負にならない」とあきらめ、「オレは後ろから頑張ろう」と気持ちを切り替えたことが、驚異の“ごぼう抜き記録”更新につながった。

 レース前に大好きな矢沢永吉の「Don't Wanna Stop」を聴きながら気持ちを高ぶらせた稀代のごぼう抜き男も、ゴール後は「順位を上げるのに必死で、何人抜いたか覚えていない」と目をパチクリさせていた。

 今年の箱根駅伝でも、留学生ランナーが先人たちを凌駕するような“新たな伝説”を打ち立てることを期待したい。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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